「本」の本質
You Tubeなど動画で知識を吸収することが増えた。
しかし、ある知り合いの「頭のいい風の人」が言っていた。
「動画だと時間かかるから、本の方が効率がいい」
と。
たしかに、知識を吸収するだけなら、本の方が早い。
意識高いなぁ。
本の本質ってなんなんだろう。
新しい媒体の創造を期待し、「本」の本質について考えてみたい。
3つの本質を観取した。
1.情報の入力速度を、自分で自在に調整できる、
音声や映像で情報を吸収するなら、1文字あたりに最低でもある一定の時間がかかってしまう。
これはソシュールが言っていることだが、音声ベースだと、時間に載せて1文字すつ情報を伝えるという制約をうける。一本の線のように。
聞き手からすれば、1文字ずつ時間をかけて理解することが前提になる。
例えば、「わたしはやまもとです」という発話をするには、1文字を0.2秒でいうとすると、10文字なので、2.0秒かかるわけだ。
100文字であれば、20秒かかる。1000文字なら、200秒。
一方、読む場合は、一般的にはもっと速い。
視覚で捉えられる文字数は、数十から数百文字あるだろう。
人にもよるが、100文字なら、5秒くらいで読めるのではないか。ざっと意味を取るだけならもっと短いかもしれない。(もちろん、もっとかかる人もいる)
また、ゆっくり、ある部分に着目して読むこともできるし、ざっと音声に比べたら圧倒的な速度で情報を取ることができる。
つまり、情報の入力速度を自分で自在に調整できる。
2.前後(過去・未来)へ自由に行き来できる
次の特徴は、1点目と関連するが、読む場合は、概念や論理構造を確認できる。
口頭で言われたら、処理できないような抽象的な議論や、難しい概念を使った話を、じっくり論理構造や一つ一つの概念を確認しながら理解できる。
一個一個の概念が難しくて、音声ベースだとすぐに理解できないようなことでも、自分のペースで、わからない部分に取り組むことができる。
つまり、音声ではできない、文脈の前後に自由に行き来できることだ。
3.能動性が求められる
音声のように時間の進行とともに、どんどん情報が与えられるのとは対照的に、本の場合は、自分がから読みに行く必要がある。
音声の場合、時間の制約はあるもののの、時間の経過とともに内容が向こうからどんどん与えられる。(これも、自分が聞く意志がないと理解できないので、一定の能動性は必要であるが。)
一方で、本の場合は、自分が集中して読む意志がないと、全く進まない。
つまり、能動性が求められる。
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以上、本の本質を3点直観してみた。
今後、このメリデメを踏まえて、新しい情報伝達の方法を検討してみたい。
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