筒井康隆『残像に口紅を』(書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」10月28日放送分)
※MRO北陸放送(石川県在局)では、毎週木曜日の夕方6:30〜6:45の15分間、書評ラジオ「竹村りゑの木曜日のブックマーカー」を放送しています。このシリーズでは、月毎に紹介する本の一覧と、放送されたレビューの一部を無料で聞くことが出来るSpotifyのリンクを記載しています。
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<収録を終えて>
SFの大家である筒井康隆さんの思考実験的な小説。言葉が一音ずつ消える世界に生きる主人公の周りでは、消えた音が含まれる物・人・概念も同時に失われていきます。同時に、物語の文章の中でも、その音は使うことができなくなるという悪魔的制約を自らに課しつつ物語を展開させていく筒井さんの筆力には、恐ろしささえ感じてしまいます。
個人的に美しいと思ったのは、消えた音はその瞬間に綺麗さっぱり失くなってしまうのではなくて、完全な消失の前にかすかな気配、すなわち残像をの中で少しづつ薄れゆくという演出です。例えば、主人公の娘「絹子」は、世界から「ぬ」の音が消えた時に存在をなくしてしまいます。それにより、主人公は絹子の名前や姿などの記憶を手放すことになるのですが、自分の中で次第に薄れゆく娘の存在を、まるで今朝見た夢の内容を思い返すように朧げながらも、愛おしむのです。背の高いのを気にして、少し前かがみにしている子だった。人から反感を持たれまいと、いつもおだやかな笑顔を浮かべていた。と、いうように。
存在は少しづつ淡くなり、消失に向かってグラデーション状になっているからこそ、手のひらから零れゆく砂を惜しむように思い返すことができる。その様子からは、何か神聖なものへ頭を垂れるような、敬虔なものを感じてしまいます。
この本のテーマは、やはり消失によって際立つ「存在」なのだと思います。次々と音が消え、ものが失くなっていく中で、主人公は喪失した言葉を使わずに会話を進めようと様々な言い換えを試みます。ラジオのレビューの中でもお伝えしましたが、「ぴ」の音が消えて「法被」という言葉が消え、存在も朧げになっていく中で「和式コート」と言ってみたり。
和式コート! 笑ってしまいますが、確かに言いたいことはわかります。名前を失い、別の表現を探すうちに、今までになくその物の本質に迫ることができる、その行為が「残像に口紅を」塗る行為なのでしょう。読者は失われた音を想像することで、言葉と「存在」の関係について自然と思いを馳せることになります。
また、余談ですが、数々の音が消えて皆が会話に苦しむ中で、気にも留めずに飄々としている人物が2人だけ出てきます。この2人は対照的で、言葉に対する向き合い方も全く違います。どうか、探してみてください。なぜこの人物たちは失われゆく音を惜しまずに生きてゆくことができるのか? すると浮かび上がってくるのが、言葉と「意味」の関係なのです。上手い仕掛け過ぎて、なんかもう……ぐうの音も出ません。
筒井さんの超絶技巧を味わえる1冊です。
それでは、良い読書ライフを。ばいもく。
<了>
記載したSpotifyのリンクから聞くことが出来るのは、番組の一部を抜粋したもので、BGMや、番組を応援してくださっている「金沢ビーンズ明文堂書店」のベストセラーランキング、金沢ビーンズの書店員である表理恵さんの「今週のお勧め本」は入っていません。完全版はradiko で「木曜日のブックマーカー」と検索すると過去1週間以内の放送を聞くことが出来ます。