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個人の音楽ブログに批評性は必要なのか

最初に書いておきますが、これはあくまで僕の個人的な問いです。具体的に誰かのブログを見たり、ニュースを見て考えたことではありません。けっこう炎上しがちなネタだと思うので、特定の何かや誰かと結びつかないよう書いておきます。

音楽ブログを書くときに考えていること」という記事を少し更新した。自己紹介やマガジン紹介をしている記事で、このブログ全体が僕のサイトだとしたらいわゆるトップページ、インデックス、各コンテンツの説明をしているようなページだ。理由は、最近はアルバムレビューの更新頻度が減ってほかのマガジンを更新するようになっているのでそれを書こうと思ったからだが、それを読んで改めて表題の問題を考えることになった。

個人の音楽ブログに批評性は必要なのか。批評、というのは「よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること」である。これは辞典の定義で、僕もそういうものだと思っている。たとえば「このアルバムは★5、このアルバムは★3」とかそういうものだ。僕が書いていた「アルバムレビュー」も基本的には批評を試みている。

僕個人としては、以前も書いたことがあるが「全部★5にしたい」と思っている。それは「せっかく自分の時間やリソースを投入して聞くのだから、その音楽体験はすべて最高な方がいい」からだ。わざわざ★1や★2をつけるために音楽を聴かない。それなら途中で聴くのをそっとやめればいいだけだ。ただ、同時に「このアルバムはいいけれど前作の方が良かったなぁ」といった「いいんだけど、相対的に最高の体験ではない」ものもある。そういうものをどう表現するか、そもそも表現すべきなのか。

↑ここまで一年以上前に書いていた

↓ここからは2025年1月の追記

こんなことを考えていたわけですね。で、今も考えている。やはり公に発表する以上、そこには責任も伴う。要はそれなりに見てくれる人がいるわけですよ。すごく狭い世界だけど、でもそもそもメタルやワールドミュージックを語ってる人自体の絶対数が少ないわけで。

さらに、最近こんなTweetを見まして。

これ、日本語に訳してくださっただけで元々はInfant IslandというUSのバンドの書き込み。批評という活動がなければ芸術としての音楽の価値が位置付けられないという訴え。

批評、評論とは、歴史を辿り、〇〇史を整理し、作品をその中に位置付けること、とも言えます。僕自身、かつて、オルタナティブロック史を書いたし、今メタル史を書いているのもそういう意識(=自分個人の好き嫌いだけでなく、聞いた音楽の価値を歴史の中で位置付けてみたいという欲求)がベースにある。もちろん、個人史的に影響を受けたアーティストというのもあって、先日書いたように「個人史だとダサいアーティストだった長渕剛を、きちんとフォーク史の中で捉え直してみて再評価」みたいなことも起きる。それは音楽を主観で聴く以上仕方なく起きてしまうのだけれど、本来的に批評や評論は、そうした個人史を越えて音楽史の中に音楽を位置付ける行為であるべきなのです。

で、冒頭の問い、個人の音楽ブログに批評性は必要なのか。いや、そもそも可能なのか。

やっぱり、今の僕としてはこれは無理なんじゃないかなぁと思っています。Infant Islandの書き込みの通り、RYMはPitchfolkの代わりになれない。RYMは世界最大の口コミレビューサイトで、そこには音楽マニアがたくさん集まるから、それなりに批評性を持った人もたくさんいます(マニアになれば批評眼のようなものを持つことが多い)。だけれど、評論メディアにはなれない。

なぜなら、反論に晒される機会が少ないからです。ゼロではないでしょう。だけれど、価値を決める、位置付けるというのは議論が必要になる。そして、メディアに対して寄せられる反論に比べるとどうしても個人に寄せられるものは質量共に少ない。「個人」ブログである以上、そこから抜け出すのは難しいと思います。

本当に批評を目指すなら、論壇に立ち、さまざまな異論反論と意見を戦わせるべきなのです。そうした論争を経なければ価値は位置付けられない。そもそもそうした論争も起きないようなものなら、その論自体に価値がない。で、僕にその気はありません。投下できる時間に限りがあるし、そこまでやるのはやっぱり仕事にしないと難しい。

じゃあ個人ブログは何を目指すべきなのか。

僕は「作家性」だと思います。考えてみたら、このブログはヴァジュラid名義なんですよね。これ、もともと昔やっていた音楽ユニットの名前で、いわば作家名。結局原点回帰するわけです。このブログそのものが「ヴァジュラidとしての作品である」。音楽ブログって基本的に他の人の音楽(作品)について語るものなので自分の中でそこが曖昧だったんですが、どこまで行っても個人ブログは批評や評論になるには限界がある。じゃあ何なのかと言うとやはり自分の作品と呼べるものだろうな、と。

そんなわけで今年は毎日更新というスタイルで作品を作っていきたいと思います。音楽体験について、もっと個人史に関わる話が増えるかも知れません。とはいえ、批評性というか、聴いたものの価値をより深く理解し、歴史の中に位置付けたいというのも正直な欲求なので、メタル史も書いていくし、各種音楽データなども調べていこうと思います。ただ、全体として「自分の作品を作るのだ」という気持ちを新たに書いていきます。

それでは良いミュージックライフを。

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