LINGUA IGNOTA / SINNER GET READY
リングア・イグノタはクリスティン・ヘイター(1986年6月17日生まれ)のソロプロジェクトです。彼女はUSで、クラシックの訓練を受けたマルチ楽器奏者です。自分自身のDV(家庭内暴力)の経験、そこからの生存を音楽的で叙情的なインスピレーションの一つとしており、自分の音楽を「サバイバーアンセム」と表現しています。美術にも造詣が深く、シカゴ美術館附属美術大学で美術学士号を取得。デス・ブラックメタル、インダストリアル、クラシック、エレクトロニカなど多様なジャンルの表現を使いこなし、自分独自の音像を模索してきたアーティストです。
彼女は、いとこが残したニルヴァーナの1991年のアルバムNevermindのカセットテープコピーを見つけたときに最初にロックミュージックに興味を持ち、カートコバーンに「取りつかれた」ようになりました。コバーンへの興味は、彼女が小学校で歌のレッスンを受けるように促したものでした。高校までに、彼女の音楽の好みはアンダーグラウンド音楽に広がり、グラインドコアのバンドThe Locust,、エクストリーム・メタルバンドのCattle Decapitation、フリージャズの創始者でオーネット・コールマン、実験的ノイズミュージシャンアーロン・ディロウェイ、そして前衛音楽家ジョン・ゾーンなどを聞くようになります。また、彼女自身の初期作はトレント・レズナーとナイン・インチ・ネイルズからの影響が大きく、彼女は約12歳のときに「クローザー」のミュージックビデオを見た可能性が高いと推定しています。彼女はナイン・インチ・ネイルズの1994年のセカンドアルバムについて次のように述べています。「インダストリアル音楽、そしてノイズと実験への入り口でした。NINから(日本のノイズバンド)メルツバウや(ドイツの)ノイバウテンへと辿っていきました」。ボーカル面ではドイツの音楽家などの影響を受け、たとえばブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、ニック・ケイヴ&バッド・シーズのボーカル)、クラウス・ノミ、アメリカ作曲家のキャシー・ベルベリアン、ハンガリーのエクストリームメタルボーカリストのアッティラ・シハール、ギリシャ系アメリカ人の前衛的なミュージシャンのディアマンダ・ガラスなどの影響を語っています。また、ヘイターは伝統的なブルガリアのポリフォニーも研究しています。
音楽マニア、音楽研究家、美術研究者である彼女は今作ではどのような音を生み出しているでしょうか。
活動国:US
ジャンル:インダストリアル・クラシック・ノイズ
活動年:2017-現在
リリース:2021年8月6日
総合評価 ★★★★
Apple Musicの分類だと「Rock」になっているが、まったくロックではない。基本的にオペラ。それも派手なアリアがないオペラ。ドラムやビートは全くない。
バイオグラフィーに「DV(家庭内暴力)のサバイバー」とあったが、まさにそれがテーマだと思うと物語が伝わってくる。どうしようもない、抜け出せない暗黒。絶望と無力感の中で救いを求める前半。非常に暗鬱というか、うめき声が多重に重なっていく。
中間部、おそらく救い出されるか加害者が捕まるのだろう。落ち着きを取り戻し、だんだんと穏やかな音像になっていく。そのストーリーに浸れればスリリングな音楽体験。「絶望的な状況から救い出されるオペラを聞きたい」という心づもりで聞けば面白い作品だと思う。その通りのものが見事に音像化されている。逆に、物語を知らないととっつきづらさを感じるかもしれない。少なくとも通常のロックやポップを期待して聴くと期待外れだろう。音像化の手段はクラシックであり、東欧伝統音楽的なポリフォニーであり、現代音楽的なミニマルさである。
1.THE ORDER OF SPIRITUAL VIRGINS 09:10 ★★★★
低音ノイズが鳴り響く中、響くピアノ。オペラティックなボーカルがポリフォニー(複数の独立した声部)で入ってくる。荘厳で暗黒な世界観。地響きのようなノイズが底流で鳴り続けている。ノイズの上で揺らめくポリフォニーは呪術的な様相も示し始める。やや音が抑えめになる。音像はそのままで静謐な静けさが訪れたと思ったら、急にかき乱す激しいノイズ。強い動揺が走る。打ち鳴らされる金属音のような。かなり強い静寂と騒音の対比。ダイナミクス(音の強弱の変化)が大きい。現代音楽、クラシック的。繰り返される「Eternal Devotion(永遠の献身)」という言葉。閉じ込められて逃げ場のない過去の記憶だろうか。1曲目からかなり深淵に引きずり込む曲。男性の鼻歌だけが残り、終曲。虐待者の声か。
2.I WHO BEND THE TALL GRASSES 06:28 ★★★☆
シーンが変わるが再びオペラティックな歌い方。これは確かにクラシックの楽曲だな。クラシックがベースにあり、ダイナミクスをオーケストラではなくノイズが奏でる構成。ボーカルが複数立ち上がってくる。いびつでゆがんだポリフォニー。それぞれがうめくような、地下牢で救いを求めるような。舞台芸術としてシーンが目に浮かぶ。ハモンドオルガンが鳴り響く中、(劇の)せりふのようにボーカルが響く。感情が高鳴ると声がグロウル気味になる。イタリアンプログレのOpus AvantraのIntrospezione(1974)も思い出すな。暗黒ロック、ゴスとオペラの融合というか。東欧ブラックメタル的な暗黒的な質感と、イタリア、ドイツ的なオペラが融合しているというか。バックはひたすらハモンドオルガンが塊のようにうごめいている。その上でボーカルが感情を激しく吐露し続ける。ジョンレノンがビートルズ解散後の初ソロアルバム「ジョンの魂」でひたすら叫ぶ原初療法(Primal Therapy)を取り入れたように、オノヨーコにも通じる現代音楽、原初のスクリーム的な響きもある(クラシックの土台がしっかりしている分、オノヨーコまで素っ頓狂ではないが)。蝉の声が残る。
3.MANY HANDS 05:15 ★★★★
蝉の声が去り、きしむような金属音、(楽器の金属)弦が揺れるような、いや、刃物を研いでいるような音。ボーカルがややカントリー調の節回しになる。背景はノイズというか、金属音が飛び回るなか、基礎となる和音がドローン的に鳴り響いている。低くて太い弦をはじく音。これはヒップホップ的な文脈でもあるのだろうか。歌というよりスピーチ。フォークソング~ヒップホップ的な「演説の延長」にあるような。いや、あくまでオペラティックだから演説というよりは演劇だが、かなり「語り」の要素も強い。とにかく強い苦痛が伝わってくる。
4.PENNSYLVANIA FURNACE 05:46 ★★★★☆
「Me and the dog we die together(私と犬はともに死んだ)」という歌いだしからスタート。やや今までに比べると落ち着きがあるというか、ノイズがなく、ピアノと声だけ、祈りのような歌。「Jesus、Jesus」と祈りもささげられる。ゴスペル的。今までで一番「曲らしい」曲と言えるかもしれない。ボーカルがメロディをたどっていく。「above all others(何よりも)above all others(何よりも)」が反復され、I fear your name(あなたの名前を恐れる)I fear your voice(あなたの声が怖い)。そして最後に「Me and the dog we die together(私と犬はともに死んだ)」で終わる。凄惨なまでに救いを求める歌。
5.REPENT NOW CONFESS NOW 05:48 ★★★★
ポリフォニー、ややフォークロア的、ハンガリーのポリフォニーも研究していると最初に書いたバイオグラフィーにあるが、確かにそういう音楽と通じるものがある。(以前、ポリフォニーについて書いた記事で取り上げた)ポーランドの伝統的なポリフォニーグループ、Laboratorium Pieśni(ラボラトリウム・ピエシニ)などにも近い。
6.THE SACRED LINAMENT OF JUDGMENT 05:22 ★★★★
バグパイプ的な音、いや、弦楽器かな。音が明るくなってくる。差し込む夜明けのような。さまざまな音が入ってくる、生活音というか、開放的な音。町の広場で合唱しているかのような舞台。どうも、閉じ込められた場所からは外に出たというか、あるいは自分の部屋の一時の安息なのか。歌詞は讃美歌的な、神に関する言葉が多く紡がれている。基本的にはシンプルな、同じメロディを反復している。アナウンスのような声が入ってくる。牧師の説教だろうか。ちょっとラジオ的な声。タイトルを直訳すると「裁きの神聖な塗り薬」。裁きの場に出て救われた、それが塗り薬のように(すぐには癒えないけれど)傷口に塗られる、ということだろうか。何かシーンが変わった感じはある。
7.PERPETUAL FLAME OF CENTRALIA 05:34 ★★★☆
穏やかなピアノの音、前半の苦悩からだんだん救いが現れて、この曲でも落ちつたトーンが続く。直訳すると「セントラリア(イリノイ州の地名?)の永遠の炎」となる。救出された、生き延びた後に過去を思い返すような、いや、あるいは信仰によって心の平安を取り戻すという表現なのだろうか。とにかく、前半の苦痛や苦悩が前面にだす音像に比べると落ち着いていて、穏やかな空気感がある。メロディはどこか素朴さもある、フォークソングのような反復されるメロディ。それをピアノの音と共に静かに、ゆっくりと繰り返す。
8.MAN IS LIKE A SPRING FLOWER 07:16 ★★★★
会話から。何かのインタビューだろうか。ピアノが入ってくる。サザンロック的というか、US南部的なハーモニーが入ってくる。基本的にボーカルは同じメロディフレーズを反復する形が多く、そのあたりはミニマル的。バンジョーの音、少し曲が動き出す。ブルーグラス的フレーズにライヒ的なミニマルな反復。このアルバムでは今までにない音像。少しづつ緊迫感が高まってくるが、前半のような絶望感や、破滅に向かって進んでいく感じはあまりしない。ただ、時が流れていく感覚がある。音量が大きくなっていく、どんどん割れていく。間違えてリモコンのボリュームアップボタンを押し続けているのかと驚くぐらいの。
9.THE SOLITARY BRETHREN OF EPHRATA 05:11 ★★★★
再び声、TV番組の声だろうか、男女が掛け合いをしている。ピアノと弦楽器が入ってくる。穏やかな日常。かなりゴスペル的な曲。ようやく解放された? 一人になって、その孤独に感謝をする、楽園は私のもの、と歌っている。
All my pains are lifted(すべての私の痛みが去る)
Paradise is mine(楽園は私のもの)
All my wounds are mended(私のすべての傷が癒える)
Paradise is mine(楽園は私のもの)
Paradise is mine(楽園は私のもの)
Paradise will be mine(楽園は私のものに)
Paradise will be mine(楽園は私のものに)
Paradise will be mine(楽園は私のものに)
No longer shall I wander(もう彷徨わない)
Ugliness my home(醜い私の家)
Loneliness my master(孤独は私の主)
I bow to him alone(私は彼に一人でお辞儀をする)
I bow to him alone(私は彼に一人でお辞儀をする)