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1人暮らしをしてはじめて家事のありがたみを知る
チート
さっきから1時間ぐらい考えて書いてたが、あー間に合わないなーと思いながら書くのをやめた。
書いたいことが出てくればくるほど間に合わないことに気づく。
書きたいことって必然的に量が多くなるし、もっとこうした方がいいかもとか見つかるから時間がかかるよな。
明日の記事にしようかな。
とりあえず途切らせないために前書いていた記事を少し修正して出したい笑
いわゆる「チート」だ。
1人暮らしと家事
今私は1人暮らしをしている。だから、当然家事もする。
洗濯。掃除。たまに自炊。
1人暮らしをし始めたのは大学生からだが、自分で家事をするようになってつくづく「親のありがたみ」を感じる。
自分が1人暮らしをするまでほぼ全くといっていいほど家事の手伝いはしなかった。
父も仕事をしていたし、昔ながらの考え方などで手伝うとかもなかったので家事はいつも母1人だ。
ご飯を作ると食器を洗わないといけないし、乾いたら直さないといけない。
洗濯すると干さないといけないし、干したら直さないといけない。
掃除をしたらゴミを捨てないといけない。
1人分でも充分めんどくさいのに、母はこれを4人分やっていたと思うと大変さが分かる。
1人暮らしなら洗濯するのも週に2回でも4人いればほぼ毎日だ。
ただこの大変さは実際にやるまで分からなかった。
父親は1日中仕事をしていて忙しそうにしていたので、なんとなく大変さは子どもながらに理解していた。
でも、実は母親も父親と同じように「家事」という立派な仕事を毎日やってくれていたんだなと今になって思う。
「家事」を月収で計算すると「約40万円」
いろんなデータがあるみたいだが、「家事」を月収で計算すると「約40万円」だと言われている。
これは、サラリーマンの平均年収ぐらいだ。
しかし、世の中ではまだまだ「家事」の位置付けが低いのではないかと思うもちろん、私もえらそうなことを言える立場ではないが・・・
どうしても
「仕事をしている方がえらい!」
「誰のかせぎで飯が食えているんだ!」
というような風潮がある。
そうした人のほとんどは、実は
「家事の大変さを知らない」
「家事をしたことがない」
言いかえると、「家事の大変さ」を理解できていない。
自分もかつてそうだった。
「経験したこと」しか「正しく理解できない」
これは勉強でもいえる。
例えば、勉強ができる子はどれだけ勉強する必要があるのかを知っている 。
90点以上点数を取るためには、学校のワークを3回解いて、塾のプリントを2回やって、それから・・・・・・。
というふうに「これぐらいやれば点数が取れる。」ということを経験から知っている。
知っているので、自分の能力をしっかりとみきわめながら練習していける。そして、毎回のテストでいい点数を続けて取ることができる。
反対に、勉強ができない子は
「自分はこれぐらいやれば◯点が取れるだろう」
と勉強するが、実際の点数は◯点よりだいぶ下・・・・・・。
これは、点数を取るために自分の努力がどれだけ必要か、まだ理解できていない。
さっきの家事の話と重ねると、
「勉強ができない子」→「点数を取るための経験が足りていない」
「家事は楽だと考える人」→「家事の経験が足りていない」
と考えられる。
理解に大切なことは「小さく、でもガッチリとやってみること」
勉強では、こうした「点数を取るための経験」をつんでもらうために、「小さく、でもしっかりとやってみること」をしてもらう。
言いかえると、「分野をしぼって、何度も練習する」。
例えば、理科の地震のところだけを学校のワークや塾のワークで3回ぐらいやる。
他にも、プリントなどを使って、地震の分野をこれでもかというぐらいやる。
そうすると、
「あれ? この問題前にもみたな?」
「この問題前もまちがえたんだよな」
など、その分野での問題の傾向や自分のクセを知ることができる。
また、1分野を何度もやることで、短い時間で
「これぐらいやらないと◯点取れないんだな」
と、振り返りをしながら本来やるべき量に気づくことができる。
家事でも同様に同じことを小さくまずはやってみるとありがたみが分かるなと思う。
子どものお手伝いは意外と意味があったんだな。
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