「赤毛のアン」関連のnote、まとめ+感想。
劇団四季の「赤毛のアン」を彼女と一緒に観てきた。
なんと、劇以前に心温まる話なのが、
今回のチケットは彼女のお母さんからの贈り物だったということ。
「彼女と僕の二人で楽しんできてね」
ということだった。なんと優しい。
感謝感謝です。
自分は普段はフィクションの物語は読まないし、
ドラマも映画も好きじゃない。
でも、とっても心温まる、心が動いた素敵な時間だった。
行ってよかった。
性格上、気に入ったものについては色々知りたいタイプ。
というわけで、お風呂上がりに
たくさん赤毛のアン関連の文章を楽しんでいた。
以下は全部抜粋です。
皆様の素敵な文章に、まず感謝です。
その中でも太字になっているところが、僕の好きだった部分。
では、どうぞ!
公式サイト:あらすじ
時代を超えて愛される名作 「世界最高のアン」と称された舞台
時代を超えて愛され、世界で読み継がれている『赤毛のアン』。 そんな名作から生まれた劇団四季のミュージカルを、作者ルーシー・M・モンゴメリーの 生誕150年を迎えた記念すべき年にお贈りします。 繊細かつドラマティックな演出でストーリーや音楽の魅力を余すことなく引き出し、 本場カナダのスタッフからも「世界最高のアン!」と絶賛されたとっておきの舞台です。 主人公はとびきり明るく、おしゃべりが大好き、そして素晴らしい想像力で 毎日をたちまち彩り豊かにしてしまうアン・シャーリー。 かつてご覧になった方も、初めてという方も、ぜひ会いにきてください。 アンの自分らしく前向きに生きる喜び、彼女を取り巻く人々のぬくもりが、 あなたの心を輝かせ、幸せにしてくれることでしょう。
大好きなのは空想とおしゃべり。そんなアンが見つけたものとは… 大自然と愛に包まれ、成長していくひとりの少女の物語。
舞台は20世紀になるころのカナダ。春を迎えたプリンス・エドワード島。 アヴォンリーという小さな村で暮らす年老いたマシューとマリラのもとに、 孤児院からひとりの女の子がやって来ます。 名前はアン・シャーリー。本当は男の子が来るはずでしたが、2人は彼女を引き取ることにします。 空想とおしゃべりが大好きで、まっすぐな性格のアンは、 家でも学校でもさまざまな事件を起こしてしまいます。 でもその明るく前向きな姿はしだいに周囲を魅了し、 最初はとまどっていた人たちもアンのことが大好きになっていきます。 美しく移り変わるカナダの大自然と人々の愛の中で、心豊かに成長していくアン。 そんな彼女にも、やがて大きな試練の日がやってくるのでした……。
登場人物たち
アン・シャーリー
想像力豊かでおしゃべり好きな女の子。両親を失い引き取られた先では邪魔者扱いされ、孤児院に送られたのちマシューたちに出会う。自身の赤毛とそばかすを「生涯の悲しみの種」だと考えている。悲しいことも得意の想像で喜びに変えていく。
マシュー・カスバート
手違いでアンを引き取ったが、アンに不思議な魅力を感じ、実の家族同様に愛するようになる。内向的でめったに外出しないが、アンとの暮らしの中で少しずつ変化していく。心臓に病気を抱えている。
マリラ・カスバート
マシューの妹。アンと出会ってすぐの頃はそのおしゃべりな様子や、突拍子もない行動にあっけに取られ、孤児院へ送り返そうとしたが、やがて兄同様にアンを大切に思うようになり、厳しくも愛情をもって育てていく。
ステイシー先生
アンたちが通う学校の先生。野外授業で自然の中で生きて行くことの素晴らしさを教えてくれる。はやりのパフスリーブの服を着ており、アンにとってはあこがれの存在。
ギルバート・ブライス
アンと同じ学校に通う男の子。赤毛をからかって「ニンジン」と呼ぶなど、本当はアンと仲良くしたいのに、つい意地悪をしてしまう。とある出来事をきっかけにアンと心を通わせ合うようになる。
ダイアナ・バリー
アンと同じ学校に通う心優しい黒髪の女の子。アンと出会い意気投合し、親友よりも大事な存在である"腹心の友"になる。母親のバリー夫人は厳格な性格。
劇団四季『赤毛のアン』観劇レポ③
「老朽化していて、想像力なんかかけらもないんでしょうって言われたらどう??!」
マシュウがアンのためにパフスリーブのドレスを買いに街に出てくるも、「パフスリーブ」という単語が出てこず要らない物を次々買わされてしまう、笑いあり涙ありの場面。
何度だって、赤毛のアン
歳を重ねた二人が望んでいたのは農場を手伝える男の子でした。ところが、おしゃべりで明るいアンをマシュウがとても気に入って……。アンは二人の愛情に包まれながら、11歳から16歳までの多感な時期を過ごしていきます。
『赤毛のアン』を一気に読み終えました。第48章まである長編。
「その細い小さな手が、自分の手にふれたとき、なにか、身内のあたたまるような快いものがマリラの胸にわきあがった――たぶん、これまで味わわなかった、母性愛であろう。」
こちらは、わたしが社会人になってから久しぶりに『赤毛のアン』を読んだ際に心に響いたマリラの胸の内です。
「ねえ、どうして道が赤くなるの?」
「そうさな、どうしてかな」マシュウは答えた。
「いいわ。それもいつか、しらべだすことの一つだわ」
アンのために一念発起したマシュウが、クリスマスに流行のパフスリーブ(ふくらんだ袖)の服をアンに贈る、第25章『マシュウとふくらんだ袖』は、これまでもこれからも、思い浮かべるだけで幸せな気分になれる”わたしの中の神回”です。
赤毛のアンとコーディアル
「ラズベリーコーディアル」というよくわからないけど素敵な飲み物に憧れました。これは、大好きな親友ダイアナをもてなすために、アンが準備した飲み物です。結局間違えて、葡萄酒を飲ませてしまって大変なことになったのですが。
「そうさな、でもわしは、一ダースの男の子よりも、アンのほうがいいよ」
「いいかい、一ダースの男の子よりもだよ。そうだよ、エイヴリー奨学金をとったのは、男の子じゃなかったろう。女の子だよ………わしの娘だ………わしの自慢の娘だよ」
「赤毛のアン」 モンゴメリ著 松本侑子訳
『赤毛のアン』- 喜びと悲しみが交錯する成長物語
アンが初めてグリーンゲイブルズに訪れたとき、彼女は自分が本当の家族に恵まれることができるのかどうかを不安に思っていました。しかし、マシューとマリラの優しさや温かさに触れ、彼女は自分自身を受け入れることができたのです。
'この場所に私が来たことは、運命のいたずらかもしれない。でも私は幸せになれるような家に巡り合ったのだと思います。少なくとも私はそう信じたいのです。'
この言葉には、アンの希望と勇気が込められています。彼女は自分自身を幸せにする力を見つけることができ、読む者にも希望を与えてくれます。
アンは常にポジティブな考えを持ちながら困難に立ち向かう姿勢があります。彼女は人生の中で様々な試練に立ち向かいながら、前向きな態度を保ち続けます。
'なるほど、それは確かに辛いことです。でも私たちは辛さを乗り越える力を持っているんです。だから私たちにはできるんです。'
この小説から学ぶべきことはたくさんありますが、私が特に学びになったのは、自分自身を受け入れることの大切さです。
アンは赤毛や過去の経験などで自分をコンプレックスに感じることもありましたが、最終的には自分自身を受け入れることができました。彼女の成長は、自分自身を大切にすることが何よりも大切であることを教えてくれます。
赤毛のアンのように、そして読書休暇を
面白い。視野が広がる。追体験できる。読書が好きな理由の大半はこういった内容だろう。
多少汚い言葉も、鋭い言葉も、許される。一方繊細な言葉や明るく晴れやかな言葉は、より一層その姿を美しく魅せる。その遊び心が面白い。読書の醍醐味。一度触れてしまったら、その沼からは抜け出せない。
アンのように、鏡の向こうに映る自分に毎日違う名前をつけては友達のように会話をし、頭の中に溢れ出る空想を忘れぬようにと必死にペンを動かした。そうこうしているうちに私は言葉に取り憑かれ、本、読書がなくては生きてゆけない人間に仕上がってしまった。けれどそのことは全く後悔していない。むしろ、あのとき『赤毛のアン』を薦めてくれた母には感謝しなければ。あそこで出会っていなければ、きっとこんなにも素敵な世界があることを、知らずに生きていたことでしょう。
4回目を読み始めている、赤毛のアン
急にふと読み返したくなるのが「赤毛のアン」。
想像力豊かな主人公アンの魅力に、時々会いたくなる。
表現力が独特で、希望に満ち溢れ、頑固であるけれど、素直に謝ることが出来るアン。
アンとマシュ、マリラは、血は繋がっていないが家族である。
その間柄がとても羨ましく感じた。
8歳の娘に『赤毛のアン』を読ませてみた。
朝ドラの『花子とアン』は見ていました。「想像力」とか「空想」とか「逆境を超えて」とか、何か娘に響くかな、とふと思ったのです。
娘は一心不乱に読み終えて、私にあらすじを言ってくる。
「アンはね、女の子がほしいというマシュウとマリラにもらわれるんだけど、それは男の子のまちがいだったの」
「アンはね、ギルバートにニンジン色の髪ってからかわれて、ギルバートを石板でたたいたら石板が割れたの」
「石板ってなに?割れたって、レンガみたいなやつ?」
「わからない。石の板って書くよ」
「レンガで頭叩いたら死ぬよね、レンガじゃないよね」
「友達のダイアナにイチゴ水を飲ませたら、ダイアナが酔っ払ってしまって、ダイアナのお母さんにもうアンとは遊んではいけませんって怒られるの。そしてダイアナの妹が病気になったとき、アンが看病するんだよ。マシュウはアンに袖がふんわりしたドレスをプレゼントするんだよ!最後にマシュウは死ぬんだよ。ギルバートはアンとたくさんお話するんだよ。」
こんなに娘が本を読んで興奮するのは初めて!
最初アンは、近所のリンドおばさんに「器量が悪い」と評価されるんですが、カッとなって言い返してしまいます。
マリラに「リンドに謝って来なさい」と言われ、「あんな失礼な人に謝るもんか」と頑ななんですが、だんだん「真剣に謝るフリを楽しんでみよう」という思考に切り替わっていきます。
「嫌なことは嫌って言っていいよね、でもキレずに癇癪を起こさずに礼儀正しく言えるようになったら素敵だよね」と娘に話しました。
最初に読書に惹かれたきっかけは「赤毛のアン」
アニメの世界名作劇場を欠かさず観て、感動して、本で読んだ。文庫本で字も細かく小学生のわたしにはなかなか手強かったが、なんて素敵な世界観!美しい風景の描写!魅力的な人物達!溜め息混じりで読んだのを覚えている。物語ってこんなに現実を忘れてその世界に浸れるものなんだ。と読書の魅力に気づいた忘れられない一冊だ。
わたしもアンみたいに強くて賢い女の子になりたい。小学生のわたしに大いに影響を与えた。
大人になり、たくさん海外旅行に行ったが、まだプリンスエドワード島には行けていない。憧れのプリンスエドワード島。いつか、いつか、と思っていた。
でも想像したまま、心の中のあの美しいプリンスエドワード島のままでもいいかもしれないと思い始めている。想像力は羽が生えたようにふわりと心の中を動き回る。それもいい。
それからたくさんの本を読んだが、赤毛のアンはやっぱり特別な一冊だ。始まりの一冊、わたしの読書人生の始まり。
「赤毛のアンの物語と共に考える親との関係」
男の子の養子を希望していたマシューとマリラのもとに、手違いできた孤児のアンを次第に受け入れていく物語。
厳しくも凛とした思いやりのあるマリラ。
多くを話さないけれど、いつもアンの味方でいてくれる優しいマシュー。
アンが2人の愛情に触れながら成長し、アンから得たものでマシュー、マリラにも変化が見られました。
新しい経験を得て成長していく3人の姿を美しい映像、音楽で観ることができます。
ご紹介するのは、赤毛のアンの小説を映像化、DVDで発売されたものです。
大好きで何度も繰り返し観ました。
映像から流れる音楽も美しいものばかりです。「Together」という音楽です。
別れの場面から
台詞の一部をご紹介します。
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成長しあう関係性
人を受け入れて関係性を築いていく過程に、私自身と照らし合わせながら、また、日常の中で気づきとなる点がいくつかありました。
アンはアンらしく変わらなかった。アンとの関係性から、変わったのはマシューとマリラで、2人の人生は彩りのあるものに変わっていきました。
そのままで良い。
自己肯定感、最近よく耳にします。
人騒がせな子だからいとしい。
アンは可愛い自慢の娘だ。
そんなこと親から言われたかったな。と思うのです。
しかしながら、そのような言葉を必ずしも聞くことはできません。
ただ、親から聞くことができなかったとしても、親から得たものの中から、見出す「親からの非言語的なメッセージ」がある。
それを自身の生き様と良い具合にミックスさせて醸成させる。
そんな風に自己肯定感を育てることなのかな。
と思ったりします。
自分が親になって、
与えるだけではなく、子どもからの愛に触れてくることができました。
新しい経験をたくさんさせてもらっています。
親から欲しかった言葉は、子どもへ言葉で伝えることができました。
今度は、年老いた親へ言葉で伝える。
母が亡くなり一人暮らしの年老いた父親に手紙を書きました。
父と母に守られて弟と4人で過ごした時間は幸せだった。
家族だけの思い出の時間を伝えました。
年老いた父は最近よく「ありがとう」と言うようになりました。
厳しかった父の小さくなった体と柔らかい小さなシワシワの手。
ニコニコ笑う父の姿に、もう十分に貰っていると思えるのでした。
言葉は大切。
「非言語的メッセージ」から読む、愛を受け入れ受容する側も大切。
そんな気づきを得ることができました。
それでもね。
可愛い娘だよ。
自慢の娘だよ。
なんて、言って欲しかったな。
と思うのです。
さいごに
一つの物語の影響力の大きさに感動した。
1時間強、ノンストップで色々読んでいた。
全然違った切り口から、「赤毛のアン」について書いているみなさんの文章は、どれも心に訴えかける何かを持っていると感じた。
人生で初めての劇団四季、「赤毛のアン」だった。
パワーを感じた。いい経験になった。
素敵だと思ったシーンと自分の毎日を照らし合わせて
もっと毎日を暖かく豊かなものにできたらいいなと思う。
ディズニーの映画とかを小さい頃に、意味はわかっていなかったけれど、鑑賞して、なんだか良い気分だなと感じていた。あれと同じ感覚だ。
社会人、25歳になっても昔のあの感性を自分の中でちゃんと持てていて安心した。ずっとずっと、大事に持ち続けていきたい。
「赤毛のアン」を観た人、読んだ人には、上で書いた内容が、同じ温度感をまとって伝わるんじゃないか?みたいな期待感がある。
感じたこと、思ったこと、コメントお待ちしております。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋