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山崎正和さんの「社交する人間」
今日から久ぶりのお休みだー
やること、やりたいことがたんまりあるので、整理する。
・畑作業
スナップエンドウとソラマメにネットをつける。
面倒で後回し後回しで来たが、、そろそろやらないと。。
・サーフィン
かれこれ3週間位行ってないから、久しぶりに行きたい。
横に乗る方法をYouTubeで見たのでチャレンジ。
・近所の森
近所で買う森の詳細を不動産屋さんと話し合い。
買う段取りがついたら一緒にやってくれる仲間探しへ。
・飲み屋
気になっている居酒屋、バーが何件かある。
飲み歩きたい。
・トレーニングとジョギング
先週はほとんどトレーニングが出来ていない。
(漁がトレーニングみたいなものだけど、)
お家の懸垂バーとプッシュアップで鍛え上げたい
・動画撮影
久しくYouTubeの動画撮影をしてないので、
何かしらの動画を撮ってUPしたい。
・読書
西部邁の「虚無の構造」を読んで、社交ということに興味が湧いた。
船の中で読んだ山崎正和の「社交する人間」を読み込みたい。
やることは多いが、せかせかせずに自分のペースで。
先週暖かかったが今日めちゃ寒いし。
アイスコーヒーからホットコーヒーへ出戻りだ。
下記、「社交する人間」より興味深かったこと。
人間が生きていく過程で、生活に型や癖のようなものが出来てくる。
それは例えば「歩く」ということを考えてみても、
江戸時代の日本人と西洋で歩き方が違うことも、
それぞれの生き方が違うという現れでもある。
そういった運動のリズムをより意識的に行うことが、
のちの「競歩」のような競技として現れる。
意識が強くなるにつれて、
自然➡文化➡文明というように流れていく。
音楽で考えれば、
ただの音は自然であり、身体を使って自ら奏でることは文化である。
そして、楽譜などの形で残すことや楽器を作ることで文明となる。
受動的➡能動的への移行。
社交について。
相手との関係性を作る「礼儀作法」
身体の運動が社交の前提となっている。
もともと自然(本能的)にある「笑う」「泣く」
などのリズムの上に、
家庭での躾があり(いわば意識や文化の伝承)
礼儀作法が出来上がる。
人それぞれ生まれた環境は違い、
そういった人と交わる為の躾である。
社交が古くから宴会などの食事の席であること、
親の躾で「食事のマナー」が強調されること、
はその表れであるだろう。
そして、そのマナーを通じて、
社交した相手は自分との文化(生き方)の相違を感じ取る。
付かず離れずの関係性となる。
ざっくりだが今読んだところまでの自分の解釈はこんな感じ。
現代社会は社交場が少なくなり、
社交に重きを置かれていない。
(コロナ自粛で飲食店が簡単に制限されたように)
いわば身体の感覚を大事にしていないと言える。
世間が解体され社会になったと言われているが、
そこで失われたのは社交であろう。
「会う」という表面的な運動になり、
「交わる」という身体を伴った運動を失った。
AI、ネット社会が行きつく果てに、
身体性を伴ったサービス業に再び光が当たることは自明である。
まだ半分程度しか理解できていないので、しっかりと読み込みたい。