違いを前提として。英語から見た日本社会。
「あの先週言ってたあれ、進捗どうなってる?」
日本で仕事をしていて、上司からこんなフォローを受けることないですか?
日本語、日本の文化というのはとても不思議なもので、こんな曖昧さたっぷりな内容でコミュニケーションが成立する、
ということになっている。
少なくともこういう言葉を発している人は、詳しく説明しなくても分かるでしょ?って思ってるはず。
そして仕事であれば、部下の立場からすれば、瞬時に頭を巡らせて、具体的にどの話のことか特定出来ないといけない。
まさに、「忖度」そのもの。
そう、日本って、
・言わなくても分かる
・言わなくても分かるでしょ?
・詳しく説明させるの?野暮ったいなー。。
という、外野からは理解不能な絶妙な呼吸で成り立っている。
「みんな同じなんだから」、言わなくても分かるでしょ?
この空気感。
ほんとに不思議だと思う。
違いを前提として
社会人になってから、一貫して海外をフィールドに英語を使って仕事をしてきた。
海外の方と英語で議論をしていて、大切にしていることがある。
・とにかく丁寧に
・日本では、くどいと思われる説明を
・相手に通じたと実感できるまでやる。
打合せの冒頭では、
・議題を説明して
・それを今議論する必要性と背景を説明して
・何を決めたいのか
これを必ずやる。議論の出戻りといった無駄を避けるためにも、経験上、これは確実にやったほうがいい。
英語では、まず結論を述べて(主張をして)、背景や根拠を後で述べるという態度が求められる。
まずは、「言いたいことありき」で、物事を明快に捉えるという態度が求められる。
少なくとも、「あの先週言ってたあれ」みたいな曖昧さを介在させる余地はない。
文章の構成もとってもシンプルで分かりやすく、とにかく言語として「論理的」だ。
それは、
英語を話す文脈というのは、「違い」を前提にしているからだと思う。
お互いに違う背景や価値観を持った人に話をする、説明をする。これが前提になった言葉、それが英語なんだと思っている。
だから、
・曖昧さのない「論理的」な態度が求められ
・しっかりと主張すると同時に
・丁寧に議論することが求められる。
だって、
自分とは「違う」人に話すんだから。
日本でも少し「議論」してみません?
日本では、そもそも「議論」「ディベート」というものが無い。日常生活の中にどこにも無いですよね?
冒頭に書いた、「みんな同じ」意識が強過ぎて、そもそも議論なんて不要という文脈で長年生きてきたからだろうし、また議論することで互いの意見の対立があろうものなら、感情が先立ってしまってワダカマリが残ってしまう。。
でも、「日本人」という括りをしてみたところで、当たり前のことだけど、ほんとは色んな人がいる。
考え方や価値観や生きてきた背景も色々。
世代が違うだけでも、互いの価値観のズレはかなり大きいんじゃないかな。
だから、日本でももう少し、「違い」を前提とした議論が日常にあってもいいのになと思う。
社会的な土台と覚悟の無いところでむやみやたらと「多様性」とか唱えるのではなくて、まずは「違い」を認識するところから始めれば良いと思う。
日本人もみんな色々だ。
考え方も価値観も。
生まれ育ってきた背景も。