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繊細さの先にある世界。

先日、自分の特性である繊細さをテーマに記事を書きました。

小さな頃から周りの音に敏感で、人混みが苦手だったり、匂いや香りにも敏感だったこと。

普段の人との会話でも、繊細さのおかげでぼくの頭の中は常に情報量が多く、今より若かった頃は息苦しさを覚えながら過ごしてきたこと。

自分は人としてどこか欠落した部分があるんじゃないかって、もっと気軽に自分を表現して、もっと気楽に日常を楽しめたらいいのにって、

そんなことを思いながら、多少の生き辛さを感じながら生きてきたこと。

ただ、そんな繊細な感覚を持つ自分だからこそ、日本酒の利き酒という繊細さが求められる大好きな世界と出会えたこと。

「自分らしさ」とか「自分らしく生きる」というのは、何もキラキラとした充実感の中だけに存在するのではなく、困難や制約と隣り合わせでワンセットなんだということ。

そんな話を記事にしたところ、とっても素敵なコメントを頂きました。

1.頂いたコメント

お一人目は、今回に限らずいつも素敵なコメントを下さる地中海性気候さん。

コメントはこちら。

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「繊細さは、ぼくらしさの自然な発露」「その特性は照らし方一つで陰にも陽にもなる」。

当の本人は、その繊細な感覚ゆえに現実世界で抱える面倒くさいことや息苦しさばかりに意識が行ってしまい、その裏側=良いところには、なかなか気付かないんですよね。

でも、仰るとおりで、その特性というのは今回記事にも書いた通り、ぼくのど真ん中にあるもの。自然にそこにあるものなんですよね。

まずはそのことに気付けるかどうかだよなーって、そんな本質を表現されたコメントだなと思って。

「自分の特性をも内包して、よりセンシティブに利き酒を言語化していってください」って応援まで頂いて。

ほんと優しいなー。ありがとうございます。


コメントを頂いたお二人目は、moreさん。

過去の記事をいくつか読んで頂いたみたいで、ぼくが日本酒をワイングラスで飲む理由についての記事にコメント頂いたんですね。

それに返信させて頂いたところ、以下のコメントを頂きました。

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これ、ほんとに嬉しくて。moreさんご自身もぼくと同じように繊細さを抱えて生きておられると記事にされてるんですが、

「繊細な感覚を利き酒に生かしているところに感激しました」、

「自分もビールや日本酒の味の違いが人より繊細に分かる気がしていて、そんな風に繊細さを楽しめば良いんだって元気が出ました」って。

ぼくは繊細であると同時に、祝福すべき単純人間だから、このまま言葉通りに受け取ってるんですが、こんな嬉しいコメント無いですよね。

繊細であるがゆえの情報量の多さはちょっと辛いし息苦しいって思って生きてきた、その特性そのものが今では自分の楽しみの源泉になっている。

こういうの、客観的に見たらとても肯定的で前向きな世界だと思うし、そのことを言葉にしたら、これだけ真っ直ぐ届いた人がいた、これだけ響くものがあったんだって、

真っ直ぐにありのままを、そのまま記事にして良かったって、そう思えました。

2.言葉の影響力

ぼくには、普段noteを書くにあたって、あるいはSNSで投稿するにあたっての基本姿勢があって、

それは「ネガティブな趣旨を書かないこと」なんですね。基本的に不特定多数に向けて発信するわけですから、

それは、例えば街中を歩いていてすれ違った見知らぬ人にいきなり否定的なことを言ったりしない、それと全く同じ感覚です。

そこはオンラインもオフラインも匿名であることも関係なく、失礼な行為、あるいは誰かを傷付けるかもしれない行為はしないという話だと思ってます。

今回、ぼくの記事が真っ直ぐ届いたという体験を経て思うのは、この基本姿勢で良かったなということ。

言葉に影響力があるとして、結果的に誰かに響くものがあるのなら、書くべきは事は優しさや温かい温度を帯びたものだと思ってます。

地中海性気候さんの言葉を借りるなら、「『陽』になる照らし方」が大切なんだと思います。

3.繊細さを言葉で届ける、その先に。

ここまで書いてみて思いました。

ぼくがnoteを書くにあたっての基本姿勢は、ぼくの繊細さが根本にあるんだってこと。

言葉によって優しさや温かい温度が伝われば良いなという想いは、他人の立場や感情を考えずにはいられない、ぼくの繊細さに由来してるんだってこと。

やっぱり、繊細さを抱えた人にしか出来ない事があるんだって、改めてそう思いました。

繊細さが言葉となって運ばれたその先には、ぼくの言葉が真っ直ぐ届く、そんな温かい場所がありました。

素敵なコメント、ほんとにありがとうございました。


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