農薬不使用の栽培/食材普及を政策に嵌め込むのは無理筋【八百屋から見た“食”no.51】
農薬を使わない栽培の最もプラスな点は【味が素直(≒品種・農地の特性・肥培管理に対して正直)】なこと。これ以外ないと言っていいです。
慣行農法との比較を各種記事で見かけますが、環境負荷面で優位かと言われると微妙です。病害虫を物理的に避ける際に使う農業資材は(トンネル・マルチ・ビニールハウスetc.)一緒。燃料も石油資材も使います。農薬に頼れない分、農業資材を慣行農法より多く使う場面もあり、大差ない(というか農業者の使い方次第)と言ったところです。
持続性(再現性・経営継続性)も、病害虫リスク・天候リスクをモロに受けてしまう点で慣行より厳しい。
気候変動や肥料や地力の特性に“正直”なため、一気に出来て一気に終わりやすいです。出来不出来が激しく安定しない。少量を短期で(病気発出しないうちに)きっちり作ることは可能。それができる生産者は細部を突き詰めて悦べる人。仕組みではなく技術の人です。
様々な変数に出来が左右されるため、量販(長期にわたる安定大量出荷)や常設販売には向きません。購買層も狭い。不特定多数(市場流通&一般向け)ではなく、特定のだれかに向けた栽培であり商売です。
この栽培の現況を無理繰り変えてまで“オーガニック(農業&給食)”を国が普及推進させるとしたら、安定供給・安全保障(飢えを回避する)面で狂気でしかありません。賄えれば理想ですが、あまりにもリスクが高すぎます。単年草の野菜は品種改良でなんとかなっても、果樹は無謀。穀物も年ごとの生産量変動が激しすぎる未来。ヨーロッパと日本の比較は気候風土が違い過ぎて意味を成しません。スリランカを他国の出来事に思えないです。
しかもこの先、少子高齢化/農業従事者の減少待ったなし、人手をかけられない社会が目の前にあり、省力化だDXだと試行錯誤している中、原始的で安定しない生産に戻ろう奨励しようとしているのも問題。大問題でしょう。農薬を使うから安定するではなく、昨今多発する農作物の病害&天候不順といった“どうにもならないときの有効打”を自らなくし、収穫減・不作・供給減・品薄リスクを高める農業生産を国が推奨するってどーなのと。
国は飢えないための食料の確保(生産能力の確保)が大前提であり、そのための制度設計。オーガニック(農薬不使用の食材)普及はあくまで民間で推し進めればいい話です。給食に関しても、まずは衛生的に安定して質と価格を保って栄養価を担保しながら美味しく楽しく食べるが大前提でしょう。
“(特定層の要望という大声を国内生活者全体の総意みたいに思いこんだ)偏った消費者ニーズ”を汲み取って国/自治体が推し進める、農薬不使用に特定した給食を推し進めるとかおかしくないですか?喫緊に推し進める理由がどこにあるのでしょうか?
食は(オーガニックは)ブームでもムーブメントでもないし、政治に左右されるもんでもないです。農薬使用不使用・オーガニックは栽培ルール/表示ルール/栽培内容の証明であり、それ以上でも以下でもありません。生産者と購入者同士のマッチングの話にとどまります。
…というかこんなこと言ってる八百屋が変なのか。農家でもないのに。
(次号につづきます)
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