見出し画像

東京の牛丼チェーン店のネギの異様な不味さは何回後悔してもなぜか頼んでしまう。

特に青い部分だからなのかなんなのか、機械的な味がするのに、ネギが乗った食べ物は大抵美味しいという自分の中の暴論に則って、忘れたころに注文してしまう。美味しいであろうと期待して食べて、あー裏切られた!という気持ちになる。

裏切られたで思い出したのだけれど、自分にとって裏切られた/許せないと感じる経験も、その事件の相手が全く気にしていないことはたまにないだろうか。
私はその時に怒りや悲しみというよりも「あれ、私が許せない、心の狭さが悪いのか…?」と困惑するのだが、よくいじめられた側は鮮明に覚えているけれど、いじめた側は覚えていないということがあるように、まさにそれと同じなのだと思う。
相手側の心境が分からず、こちらもどうしたらよいか分からないので、そっと距離を置くようにしているが、なんだかもやもやする。
人間なんだし口があるんだから、思っていることを伝えてくれ、頼む。私と貴方の間には色々あって距離が生まれたはずなのに、しれっとSNSをフォローしないで欲しい。

あともう一つ言語化したいことを思い出したのだけれど、裏切られた人が良い方に変わっていることを期待しない方が良い件について。これは人は変わらないというけれど、変わらないというより「出会った時とその人の関係がそのままだから、変われない」んじゃないかなと思っている。
その人自身はきっと、会わない間に変わっていて、変わっているんだろうけれど、変わらない自分でいて良いその居心地の良さだったり、その人との関係性への懐かしさに引っ張られたりするのではないか、と思ったりする。

***

最近、ずっと気持ちが低迷している。きっとそういう周期なんだろうな〜と、今までは良い方へ進むように必死だったけれど、なんだかその必死になるやる気もなくて、低迷したままそこにある。2月くらいからこの調子なので良くない。
今日お会いした方が東京に住まない理由を「視線が複数あるのが気になって」と言っていて、それがかなり自分にも刺さったんですよね。
帰り道悶々と考えていましたが、閉鎖的なコミュニティ(=地方のイメージ)のほうが、外に逃げられないので辛いような気もするけれど、
都会は、自分よりも秀でている人とか、自分の欠点でどうにもならない部分とか、自分と周りとを比べやすいような、そんな刺激を受けやすいのかなと思ったりもしました。
なんだか、本当に自分や周りとの向き合い方を考えないと疲れてしまうよね、トーキョー。

つらつらと書いてしまったので、そのうち修正するか、消しちゃうかもしれない記事でした。ちゃんちゃん

いいなと思ったら応援しよう!

隠蔽
遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。