博多ラーメンはトンコツスープで知られるけど久留米ラーメンがその発祥かも?
昨今のラーメンブームの影響と、比較的に修行期間が短いことや開業における設備費用の資金面などで、独立開業がしやすいこともあって全国的にラーメン店が増えているようだけど、ラーメン好きとして博多ラーメンのルーツについて書いてみたい。
今やご当地ラーメンという地元産のラーメンが、ある程度の規模を持つ地方都市であれば必ず目に付くくらい、猫も杓子もの状態でラーメン店がひしめいていますよね。
おまけにコンビニチェーンが競い合って、有名店の味を再現したカップラーメンを発売しているものだから、名前の売れているラーメン店の味は簡単に家庭や職場で味わうことができる、便利な世の中になったものです。
コンビニで競っている新商品も、手を替え品を替え発売が続くから、ラーメンも種類も増えるけど、売れ行きの悪い商品は静かに退場させられ陳列棚から姿を消すから、残る数としてはさほど変化はないかも知れない。
・・・って、コンビニの売れ筋分析をしてるわけでも、カップラーメンの販促の話をしようというのでもありません。
九州でラーメンといえば?
そう、これをテーマにしたかったのですよ。
九州ラーメンというと博多ラーメンが有名だけど、その博多ラーメンのルーツが久留米ラーメンだというのもご存じでしたか?
要するに「とんこつラーメン」としての発祥が、福岡県久留米市の「南京千両」さんという屋台ラーメンから始まったとのこと。
残されている記録では、この「南京千両」さんが屋台ラーメンを始めたのが昭和12年の春のことなのですね。
これ以前には、屋台にしろ店舗にしろ「とんこつラーメン」を提供していたラーメン屋は、他に存在しなかったということで発祥となったわけです。
博多ラーメンのルーツは久留米?
博多ラーメンのルーツが久留米だという説とは別に、博多ラーメンでも中州の川沿いで昭和13年~15年頃に「三馬路(さんまろ)」という屋台を始めた森さんという人がいて、この屋台が博多ラーメンのルーツになっています。
そして興味深いのが、この「三馬路」のラーメンスープは、同じとんこつでも澄んだスープだったという点です。現在のような白濁スープは「赤のれん」のラーメンが元祖になるらしい。
澄んだとんこつのスープに平麺という三馬路のラーメンは、上海から引き上げてきた先述の森さんが始めたけど、開業時期は先述した昭和13年~15年とも、昭和16年~17年とも伝わるものの記録がなく、はっきりしないところがあるようです。
その後、森さんと一緒に味を工夫していた森山さんという方が「五馬路(うまろ)」という店を始めたけど廃業。
そのあとに甥御さんに受け継いだ味が「うま馬(うまうま)」というラーメン居酒屋に受け継がれて、今に至っているようですね。
いずれにしろ三馬路の創業が昭和13年~17年の間であることは間違いないようなので、昭和12年春創業の久留米ラーメンのほうが、とんこつラーメンの発祥としてはルーツになるようです。
まだまだ話せば長くなるので、この続きはまたの機会にでも。(^_^)b
最近のインスタントラーメンは、麺もスープも格段に味が向上してバカにできませんよね。
わざわざ外食でラーメンを食べる機会がなくなりました。
家ラーメンでお昼ご飯にすることもけっこうあるけど、どれにしようかと迷うのも楽しみの一つです。
この記事書いていたら、明日の昼はラーメンにしたくなってきた。🤣
ってことで、今回は
「博多ラーメンはトンコツスープで知られるけど久留米ラーメンがその発祥かも?」という博多ラーメンの発祥は久留米ラーメンに遡るかもの話。🤔
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
お好みに 味をアレンジ のほほんと
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