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コロナ渦不染日記 #19

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六月一日(月)

 ○薄曇りの日。在宅勤務は今日で終わり。

 ○三宅隆太『スクリプトドクターのプレゼンテーション術』を読む。

 著者は映画監督であり、脚本家であり、「脚本のお医者さん」という意味の(ご本人は映画制作進行の行きづまりを解消するカウンセラー的なアプローチを取られているようだが)スクリプトドクターというお仕事をされている方。つまり、「映画」という、他者と他者をつなげるものの制作にかかわってこられた方である。本書は、そういう方ならではの視点で、「人が他者になにかを開示[プレゼンテーション]するとはどういうことか」を、平易なことばづかいと的確なたとえで語る。
 仕事柄、プレゼンテーションの必要があるので、そのヒントが得られないかと読んだのであるが、読み終えると、これは「人が他人と関わるためにはどんな心でいたらいいのか」を示した本であると感じる。プレゼンテーションだけでなく、コミュニケーションのための心構えについて語っているのだ。

 ○前書を読んで思い出したのは、陽気婢「世界ノかけら」(『えっちーず4』収録)である。

 大学生の兄と、幽霊が見える小学生の弟が、弟の霊視によって自殺未遂の少女を発見したことから、世界の裏側にある「死」の世界を経由して、我々の「生」の断絶と、それでもなお生きてゆかざるをえないとしたら、断絶を超える手を差し伸べるしかないのであるということを、なんとなく知る……という話は、作者のスティーヴン・キング好きが遺憾なく発揮されたホラーファンタジーであるが、この物語の最後を引き取るのは、こんなモノローグであった。

誰にも心をひらけない人がいる。
誰にでも開ける人がいる。

ぼくらは  その 中間 に いる。

——陽気碑「世界ノかけら(後編)」(『えっちーず4』収録)より。

 映画制作や、送り手と受け手がなにかをやりとりする場としての映画において、三宅氏は、「世界ノかけら」でいう「中間」の人であるだろう。しかして、我々はといえば、「誰にも」あるいは「誰にでも」ではなくとも、「時に」他人に心をひらけなくなったり、「たまに」心を開けたりするだろう。であればこそ、三宅氏のような人が必要であろうし、じしんが三宅氏のようなことができる必要がある。

 ○マンガ家のジョージ秋山氏が、五月十二日に亡くなっていたことが公表された。
 ぼくは、氏のことを知ったのは、小学生ぐらいのころに父うさぎが買ってきた『ビッグコミック』誌の『浮浪雲』であった。子供には、ちょっとなにいってるかよくわからないマンガと思っていた。しばらくして『銭ゲバ』や『アシュラ』などを読むと、「こわいまんが」だと思った。そしてその後に『浮浪雲』について思い返すと、『浮浪雲』も、『銭ゲバ』や『アシュラ』と同じく、「こわい」ものを描いていたのだと気づく。
 ジョージ秋山氏のマンガは、常にじっと「人」を見つめているのである。「人」の見栄や、ごまかしや、身勝手や、反省や、純真や、どうしようもないものを、じっと見つめているのである。『アシュラ』などは、人が人を、文字どおり「食い物」にする場面を描いて、そうして生きるしかない「人の生」の純真や、どうしようもないものを見つめているのである。
 そういうジョージ秋山氏の作品で、ぼくが好きなのはバイオレンスアクション時代劇『女形気三郎』である。


六月二日(火)

 ○久々に家を出て仕事をする。疲労深し。
 移動中に、電車やバス、町なかで目にする人の数は先週より、なんならおとといより増大しているばかりか、誰もがいわゆる「ソーシャル・ディスタンス」などということばを忘れ去ったかのような距離感のなさで、我先にと道を急ぐ。誰も他人のことなど気にしていないように見える。これもまた、この日記がタイトルに挙げる「コロナ」の一部であろうと考えれば、やはりこの日記は今後も続ける必要がある。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、なんと三十四人。
 これを受け、東京都は「東京アラート」を発令した。これは、先月二十五日の時点で設定されていたものである。都内の新規感染者の増大と、そのうちの感染経路不明者の比率、週単位の感染陽性者増加比をもとに、都民に警戒を呼びかけるものだ。
 それが今夜十一時に発令され、東京都庁とレインボーブリッジが赤く染まった。
 しかし、これは「緊急事態宣言」とは異なり、「警戒を呼びかける」ものでしかないから、緊急事態宣言下の自粛生活に鬱屈をため、なんの補償もなく過ごすことを余儀なくされて、経営や生活が立ちゆかなくなった結果、なにがなんでも生活をたて直さねばならぬと考える人々には、なんの効果も持たないと思われる。
 今朝の人出を見ても、テレワーク/リモートワークができる仕事ばかりでなく、緊急事態宣言が解除されれば、いつもどおり外に出なければならぬ人々ばかりである(ぼくもそのうちの一匹である)。そこへ外出の自粛や、いわゆる「三密」を守ること、テレワークの呼びかけをおこなったところで、知ったことではないというのところではないか。

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六月三日(水)

 ○久々に現場入りする。この災禍で現場はばたばたしている。

 ○夜。齋藤なずな『夕暮れへ』を読む。圧巻。

 作者の齋藤なずな氏は、四十代でマンガを描きはじめ、二十三年前に家族の介護と大学で教鞭を執る関係で筆を下ろし、三年前にふたたび活動を再開された、現在八〇歳ちかいお歳の方であるが、そうした経緯を考えても、この作品集に収められているような「すごみ」はなかなか出せないだろうと思う。
 特に、活動再開後の二編「トラワレビト」と「ぼっち死の館」は、前者が老人の介護と看取り、後者が老人の一人暮らしと死を題材に、いずれも「死」をとおして「生」を見つめる、すさまじい作品である。のちに不定期シリーズ連載されることになる「ぼっち死の館」などは、これまでさんざん孤独に暮らす老人たちがいやおうなくすれ違うことになる団地の悲喜こもごもと、次々とこの世を去る老人たちのそれぞれの最期を描いたはてに、作中のとりあえずの視点人物をして、

「——みんな、どんなふうに生きたんだろう、この最後の場所にたどりつくまで」

——齋藤なずな「ぼっち死の館」(『夕暮れへ』収録)より。

 と言わしめるという、おそろしい突き放しぶりを見せる。

 ○畢竟、我々の間には、どこまでも深い溝が横たわっているのである。それは狭そうで広く、飛び越えられそうで飛び越えられない。ただ、そこに落ちれば、なかなかはい上がれないことだけは、なんとなくわかっている。
 われわれの生というのは、そういう断絶にとり囲まれているのだ。剣山の針のひとつひとつのその先端に生きているようなものなのだ。ただ、隣の針先に、自分とおなじような人が生きていることは知っている。声をかけあうこともできる。なんなら手をのばすこともできる。ただ、どんなに触れあっても、声をかけあっても、こころをかよわせられたと思っても、相手のそばにいくことはできない。
 だから、われわれは常に孤独と背中あわせである。隣の針に人がいれば、その孤独も一時まぎれようが、しかし、その隣人の声が聞こえなければ、触れられなければ、孤独はいや増すし、その隣人がひとり、またひとりと姿を消せば、孤独は否応なく深まっていく。
 齋藤なずな氏はそういう「生」を描いて、しかし、そこに確かにある、生のよろこびもまた描いている。シリーズ化された『ぼっち死の館』第一話には、そうしたよろこびもまた描かれて、先日亡くなったことが発表された、ジョージ秋山氏の徹底した視点に通じるものがある。

 ○つまり、これは山田風太郎のいう「列外者」の視点、ぼくの言葉でいえば「不染」の視点であろうか。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、十二人。


六月四日(木)

 ○朝の電車は昨日とおなじく混んでいた。「東京アラート」なるものが警戒を呼びかけた結果がこれなら、「日本モデル」など笑わせる。

 ○おとといの「東京アラート」発令に、都知事はずいぶんと判断を保留していた。新規感染者数の増大が確認されてから、発令を見当するという流れがそれを示している。つまりは、アラート発令によって、せっかく営業再開を指示したことによって動き始めた経済が停滞するのをおそれたのであろうが、となると、結局発令したというのもまた、「そういうことにしてしまったから、そうしなければならない」と判断した、というだけのことではないかとかんぐってしまう。感染拡大の第二波を警戒しているというよりは、お役所的に手順をふんでいるだけであろう。
 そして、悲しいことに、それを気にしているものは誰もいないのである。いや、気にしているとしても、そこで自らの身を守るべく、あるいは他人への危険を減らすために、といった「自らの意志と責任」で行動するものはあまり多くなく、ほとんどが「なんだかそうしなければならなそうだから」というだけで、おざなりにふるまって、心のなかでは無視しているというのが実情ではないか。
 もしこれで、感染拡大第二波がこないか、きたとしても「第二波」と呼べるほどおおきなものにならなかったなら、都は「東京アラートの成果」といい、国はまたぞろ「日本モデル」だの「国民のみなさまの努力の結果」だのといったおためごかしで分析した気になるのであろうか。そして、そういうこともまた、「愚衆たる国民」は、一顧だにせず、自分のつま先だけを見ているような生活を続けるのであろうか。

○本日の、東京の新規感染者数は、二十八人。

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六月五日(金)

 ○終業後、現場近くの商店街をうろつくと、市販のマスクと、手作りマスクが並んで売られているのを見る。特に市販のボックス入りマスクは、五十枚入り千円と、投げ売り逃げ切り価格である。

 ○古本屋でイアン・ワトスン『オルガス・マシン』と、ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』を購入。

 ○帰宅すると、田舎から父うさぎが来ていた。実に三ヶ月ぶりに顔を合わせる。元気そうでなにより。

 ○持ち帰り仕事をいやいやしながら、映画『東京喰種』を見る。清水富美加(現・千眼美子)氏の顔と演技、好まし。

 ○なんとか日が変わる前に仕事を終え、自由な週末をむかえる準備ができたよろこびをかかえ、ししジニーさん、J0SHUAさん、ノロワレさんとオンライン会話を愉しむ。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、二十人。



→「#20 優雅なランチ」



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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