【読書感想文】自分とか、ないから。〜教養としての東洋哲学〜
何気なく本屋で手に取った一冊が、衝撃的にブッ刺さった。
この本は、東洋哲学を主軸に「どう生きればいいか」「自分とは何か」について
先人たちの教えを説いている。
一見堅苦しい内容に思えるが、
はじめに の一言で私は購入を決めた。
!!!!!!私のことだ!!!!!!
32歳の年に離婚、無職、実家暮らし。
え、私が書いた本??シンパシーしかない。
著者しんめいPの文章は、友達と喋ってるのか?と思うほどラフ。
堅苦しい東洋哲学について軽快な話口調で説明をしてくれるし、
現代社会でいうと〜の独自の解釈が的確だからか頭に入りやすい。
何よりクスッと笑わざる得ない。
見開き2ページで1回笑ってしまうほど、ひどい!ずるい!!
R-1、1回戦落ちだとしても東大出身・元お笑い芸人なだけある(舐めすぎてごめんなさい)
この本は、哲学の真骨頂「虚無感」をどう解釈し、どう生きるか?
を説いた偉人?神?の説法を簡単な言葉で片付けてくれる。
入門書どころではない。もはや「マンガで学ぶ東洋哲学」より適当。
いい意味で!本当にいい意味で!!!
現代にも教徒が数多く存在するこの分野に対して、ここまで軽くわかりやすくまとめてくれた人がいただろうか。
東洋哲学初心者の私には、驚きと笑いの連続だった。
ブッタがハイスペックなひきこもりだったなんて知らなかったし
達磨さんがインド人だったことも
空海が超天才の起業家だったことも知らなかった。
老子と荘子のセットは学校で習ったけど、なんの人たちか覚えていなかったし
“道”という考え方も知らなかった。
そろそろ本題。
どの説法も
「この世界は全て繋がっていて、自分なんて存在しない」という考えに辿り着いている。
私のnote自己紹介文、一読しました?
「飽き性で空っぽな自分を見つめ直したい30代」
私は、空っぽな自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
何者でもない自分。
なにも持っていない自分が苦しかった。
何かを見つけなければ、何者かにならなければ、
誰かに認められなければ存在する価値がない、と焦り続けていた20代。
会計士も合格した、結婚もした。
誰がみても「仕事も家庭も順風満帆」いい子が完成した。
同じ感覚のまま30代に突入したが、上部だけ取り繕ってきた私の中身は空っぽのまま。
その結果、これまで信じてきた「いい子」が崩れ始め、離婚し、無職になった。
誰かに「今、幸せ?」
と聞かれたら迷わず答える。
“うん!とても幸せ!!”
辛いことのあとは楽しい事しかないからね。とよく言うが
それってツラつぎて幸せセンサーバグってるから?
感覚が麻痺してるからだと思っていた。
でもこの本を読んで、私がなぜ幸せを感じているのか少しだけ言語化できるようになった。
この世は“空“ 全てがフィクション、作り上げた空想の存在
比較する対象がなくなれば苦しむことも無い。
そもそも“無我”自分なんて存在しない。
空っぽの自分を見つめ直しても、空っぽのままなんだ。
それが悪い事だと決めつけているから苦しかった。
“禅”を知ってから、ただ目の前の世界を感じて、今を生きている自分にフォーカスした瞬間、全てが美しく見えた。
(言葉を捨てるというのは、言語探求者としてはちょっと受け入れ難いが。)
親鸞の“ダメなやつほど救われる”を体現している今
「ヨーロッパ周遊の旅」という新たな目標を実現する機会を手に入れた。
“他力”だ。引き寄せちゃったよ。
社会的な「死」から解放されたいまの私は悩みがない。
いや、正確にはある。お金とかお金とか。
あるけど、以前ほど苦しくない。
思考停止してしまうほどの苦悩ではないし
むしろアイデアのような構想が次々と浮かぶようになった。
これを実現するためにどうしたらいいか?を悩む日々。
だから、私は幸せなんです。
忘れたくない考え方に出会えてよかった。
定期的に読み返したくなる本に出会えた事に感謝。
ありがとう、しんめいP。ありがとう、サンクチュアリ出版の大川さん。