第九話 "いいちこ"と正反対の男
「じっくりいいちこ飲むなんか久々や。美味いなぁ」
グラスを傾けながら、ポロリと言葉が溢れた。
「正反対やろ」
優華はこちらをじっと見てそう呟いた。
「嫉妬してるんやろ、いいちこに。」
グラスの中の氷をカラカラと奏で、優華は丸井に言った。
「なんやこら。ワシは酒に愛されて殺される人生願っとんねん。嫉妬なんかするかいや。いいちこの性格ごと肝臓にぶち込んで、糞と小便垂れ流して死んだらぁ。」
優華の言葉は丸井の心を撃ち抜いていた。
まろやかな口当たり、優しい香り、万人受けする嫌味のなさ。
丸井とは正反対の"味"。彼自身が感じ取った事を優華は代弁した。
彼女の言葉は断片的ながら、コピーペーストするように丸井が感情を表現した。
丸井は苦虫を噛み潰すかの如く、目の前の"嫌味"な酒を一気に飲み干し、空になったグラスを力強くテープルに置いた。
「おかわりや。口からじゃモノ足らんさかい点滴で静脈からぶち込んでもかまへんで?」
丸井は片眉を上げて挑発するように、優華に視線を投げかけた。
「丸ちゃん、やっと角ばってきたね。さすがに濃い目はやめとくよ。まだ、潰れるには早すぎるからね」
優華はそう言うとグラスに氷を数個ときっちり指二本分のいいちこを注ぎ、水割りを作った。
丁寧にマドラーで数回かき混ぜた後、丸井の手元にそっと置いた。
一杯目の悪戯さは全く無く、そこには教科書通りに水割りを作り続ける一人の女だけがいた。
いいちこの氷がカチカチと溶けていく音と丸井の心の音とが共鳴した。
彼は自分の"音"を感じながら、グラスに少し余白を与えられたいいちこを一口舐めた。
口いっぱいに広がったのは優しい麦の味。
“九州のこぶ”といわれる国東半島、北西部は英彦山系、西部は九重連山、北部は祖母山系の山々に囲まれた大分県独特の自然の味だ。優しく育てられた麦たちが決して打ち消し合うことなくそれぞれの存在を引き立てている。
優しい麦達が喉を通り過ぎたあとに鼻から抜ける香り。
一粒一粒が感情を持ちながら、喉の奥底から美しいハーモニーを奏で出し、それは吐息として溢れ出した。
頭に現れたのは吉見→浅尾→岩瀬の黄金リレー。中日の勝利の方程式を支えた投手陣といいちこのハーモニーが重なって見えた。
丸井は「こんなん岩瀬のスライダーやん」とつぶやきグラスを固いテーブルにそっと置いた。それから少しの間、彼は何も言葉を発しなかった。グニャグニャのハイライトに火をつけ、時々いいちこを舐めるだけ。ハイライトから立ち上がる煙とどんどん溶けていく氷だけが"時間"を示していた。
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