・切なくて哀しい少女の生き様
・ロリータファッションをめぐる破滅的な筋立て
・美しいもの
人気作家・嶽本野ばらを語るとき、キーワードとなるのは上記のようなことがらでしょう。
嶽本野ばらは、澁澤龍彦の支援をうけた画家・金子國義のファンのようですが、確かに嶽本の耽美的な部分は澁澤色を感じさせます。また「少女(嶽本は「乙女」と呼んでいますが)」というキーワードは、「アリス」をテーマの一つにした金子國義的でもあります。
この「身体性に抗うような観念的なフォルムのお洋服を身に纏い、人工美を極めようとする」という部分がメリーさんのドレスとの共通性を感じさせます。
その一方「ロリー夕達の大半は、現実世界の性的欲望に生理的嫌悪を憶えているのです」の部分は、娼婦であるメリーさんとはちがいます。
しかし誰にも見せることのなかった彼女のこころの裡(うち)を推し量ると、嶽本ワールドとの親和性をひしひしと感じるのです。
メリーさんは故郷で結婚していました。しかし軍需工場でのいじめと自殺未遂を理由に、婚家から離縁させられます。実家に戻っても腫れ物扱い。村の人達は、全員そのことを知っています。人生は暗闇で明るい材料はなにも見えません。おまけに戦時中のことですから、生活の何もかもが統制されています。華やかなものも、お洒落なものも、すべてが取締りの対象です。彼女は人生を諦めていたのではないでしょうか。
そんなときです。文豪・谷崎潤一郎が彼女の目の前に疎開してきたのは。
美しいものが好きな彼女にとって、耽美的な作風を信条とする人気作家の登場は、大きな光となったはずです。
彼女には、あの白いドレスが必要だったのでしょう。毎日、来て出歩かずにはいられなかったのでしょう。
『下妻物語』の主人公・桃子がロリータ・ファッションにみせる執着は、過酷な現実からの逃避のレベルを越え、「お洋服」が現実をサバイバルしていく同志となっている(松浦桃『セカイと私とロリータファッション』)そうですが、この点もメリーさんを彷彿とさせます。
桃子にとってフランスのロココ文化は、
とのことですが、そのまんまメリーさんです。
メリーさんが「ロココ」なる時代や文化を知っていたかは分かりません。しかし彼女の精神性は「反社会的な享楽性や刹那的な思想を自他ともに感じさせる」ものだと思います。
長々と書きましたが、どうでしょうか。
おそらく嶽本野ばらのファンは、『白い孤影』で描き出したメリーさんのイメージを気に入ってくれそうだ、と思うのです。