心揺さぶる一匹の犬の物語~マヤの一生
5月のとある日。
私は、病院のベッドの上で、あふれる涙を止めることができませんでした。
どこかが痛いわけではありません。
「マヤの一生」という物語を読んで、泣いていたのでした。
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今年の1月終わりのこと。
57回目の誕生日に、遠くに住む友人からプレゼントが届きました。
「気遣い無用」と伝えているのに、時折りサプライズなプレゼントを贈ってくれる10歳年下の友人の心遣いに感謝しつつ、包みを開けてみると……。
鳥の編隊飛行が描かれている美しい表紙の本と、手紙が入っていました。
本の中央に「椋 鳩十 童話集」、左下に少し小さな字で「大造じいさんとガン、マヤの一生など」と書かれています。
「えっ? むく はとじゅう? マヤの一生?」
瞬時に、1冊の本が遠い記憶からよみがえりました。
小学生の頃、私の本棚の半分は、いとこからのお下がり。
その中に一度も手に取ることなく、背表紙しか見ていない本がありました。
その本こそ、椋鳩十・作「マヤの一生」。
椋鳩十(1905-1987)は、教科書に長年採用されている「大造じいさんとガン」をはじめ、動物をテーマに数多くの名作を書いた児童文学作家です。
椋鳩十の本は、学校図書館の「動物モノ」コーナーにも何冊か並んでいましたが、私は「動物モノ」に全く興味なしで、いつも素通り。
なぜなら、私にとって動物は「天敵」だったからです。
私が子どもの頃は、ノラ犬・ノラ猫が街中を我が物顔で闊歩していました。
彼らの機嫌が悪いと、追いかけられたり、時には噛まれたり。
彼らのナワバリに近づかないよう注意していましたが、敵は神出鬼没。
運悪く遭遇したときは、息を殺し、そおっとすれ違い、敵の姿が見えなくなるやいなや、猛ダッシュで家に帰ったものです。
「天敵」の本である「マヤの一生」は、一度も開かれることなく、10歳のときの引越しで、多くの本とともに、本棚から消えていました。
あの「マヤの一生」が、47年ぶりに私の元に戻ってきた!
不思議な偶然に驚きつつ、同封の手紙を読んでみると…。
なんと驚いたことに、友人は幼い頃、椋鳩十のご親族一家の近所に住んでいて、親子ともども、親しくしていたそう。
「会ったことはないけれど、知り合いのおじいさん」の本を図書館で見かけると、嬉しく思うほど、椋鳩十に親しみを感じていた友人。
素通りしていた私とは、正反対です。
家にも何冊も椋鳩十の本があり、椋鳩十を享受できる環境は、どの子どもよりも整っていました。
しかし「モモちゃんとあかね」という短いお話と、教科書の「大造じいさんとガン」しか読んでいなかった、と。
またまた驚きました。
彼女も、家に椋鳩十の本が家にあったにも関わらず、一冊だけしか読んでいなかった子どもだったのです。
そんな彼女も母となり、書店や図書館の児童書コーナーで、椋鳩十の本を見かけなくなったことに、寂しさを感じていましたが、ある日書店で「椋鳩十 童話集」を発見。「買うしかない!」とすぐさま購入。
そして、40年越しで椋鳩十の作品を読んだ友人は、人だけでなく、動物や自然への愛情あふれる椋鳩十の世界に大感動。
この感動をやんそんさんにも! ということで、「椋鳩十 童話集」は、私の元にやって来たのでした。
友人のおかげで、私にも読むべき時が訪れました。
47年越しの読書です。
雑念に惑わされず集中できる環境で、じっくりと読みたい。
タイミングよく、5月に入院予定がありました。
昨年、大雪の日に転倒して右手首を骨折。骨を固定したプレートを取り除く手術のための入院です。病院のベッドの上なら、誰にもじゃまされません。
憂鬱で面倒な入院が、待ち遠しいものになりました。
あっという間に5月です。
予定通り、病院のベッドの上で「椋鳩十 童話集」の、6つの物語を読みました。
最初の4つの物語の主人公は、大自然に生きる動物たち。
厳しい大自然に生きる主人公たちは、自らを盾にして仲間や子を守ります。
必死でありながらも、他者と共存する生き様は、美しく、賢く、尊い。
それに比べて、我が身のために争い、命を奪うことも厭わない人間社会は、なんと愚かだろう、と気づかされます。
「未来ある子どもたちに、人間や動物が力いっぱい生きる姿と、命のきらめきを伝えたい」という思いで、書き続けた椋鳩十の作品は、綿密な取材と、自身の体験に基づいたもの。
子ども向けのやさしくシンプルな言葉なのに、リアルで臨場感にあふれ、どんどん物語の世界に引き込まれて行きます。
人間にも動物にも忖度の無い文章は、著者の思いがまっすぐ伝わり、どの物語も読み終わった後、清々しい感動がありました。
5番目の物語、「モモちゃんとあかね」は、幼い頃から一緒に暮らした、ネコと女の子のお話です。身近なペットとの物語に感情移入してしまい、思わず目頭が熱くなります。
そして、最後の物語「マヤの一生」を読み終えました。
とうとう涙腺崩壊です。
お隣のベッドに、嗚咽が聴こえないよう、声を押し殺し、あふれる涙をぬぐうことなく泣き続けました。
そして、しばらく経ってからも、思い出しては、泣けてしまうのでした。
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「マヤの一生」は実話です。
椋鳩十の懺悔のような独白から始まります。
物語の前半は、椋鳩十夫妻と3人の子どもたち、犬のマヤと、にわとりのピピ、ネコのベルの、素朴で幸せな暮らしが、淡々と綴られています。
物語が進むにつれ、幸せな暮らしに、暗い影が見え始めます。
自分たちには無関係と思っていた、満州事変に始まる「遠くのごたごた」は、少しずつ、じりじりと広がり、人々は戦争に巻き込まれていきます。
やりきれない悲しみと、動物と人間の深い愛が、同時に感じられる結末は、「愚かな戦争を二度としてはならない」という、椋鳩十の強い願いが伝わってくるものでした。
今も、世界中で起こっている「遠くのごたごた」が、一分一秒でも早く終わって欲しい。
そして、自然界では決して起こらない、無意味な「殺し合い」ではなく、「話し合い=政治的解決」で終息して欲しい、と心から思うのです。
「マヤの一生」は、私の心に深く刻まれ、忘れられない物語となりました。
47年越しの、マヤとの再会をプレゼントしてくれた友人に心から感謝です。
私も友人と同じように「椋鳩十 童話集」、そして「マヤの一生」を多くの人々にシェアしたい気持ちになったのでした。
「椋鳩十」の本を、書店や図書館で、探してみて下さい。
友人や私を待ってくれていたように、あなたに読んでもらうことを待っています。
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「椋鳩十 童話集」を読み終わった後日、ある歌を思い出しました。
ルイ・アームストロングの歌う「What A Wonderful World」(この素晴らしき世界)。誰もが耳にしたことのある歌です。
1967年に発表されたこの歌は、戦争や人種差別を嘆き、平和な世界を夢見て作られたもの。
恵みを与えてくれる自然に感謝し、人々が協力し合う平和な社会と、未来を担う子どもたちの幸せを願い歌う、ルイ・アームストロングと椋鳩十の思いは同じです。
添付の動画は和訳付き。
ぜひ、歌詞を味わいながら聴いて下さい。
「マヤの一生」を思い出しながら、この歌を聴くと、先人の思いが心に沁みて、またまた泣けてしまうのでした。
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