鉄印帳旅(足尾銅山2) #167
前回からの続きです。
明治・大正時代
足尾銅山の江戸時代の展示を見たあとは明治・大正の展示ですね。
支柱夫さんに鑿岩夫さん
ヘルメットもしないとは頭突きで岩をも砕くかも知れないタフネス?
坑内を流れる地下水には銅が染み込んでいるので、鉄を入れておくと銅が付着するのかな?飲んでも触ってもいけないらしい。要注意だ!
ようやくトロッコが登場。ヘルメットもかぶってる。
ちゃんと作業着とヘルメットをつけるようになった坑夫さん。
発破
押しますよ。押しますよ。いいですか?
赤いボタンをポチッとな。
「今から発破を行います。数秒後に爆風が来ますから各自、備えてください」
若干、軽いノリで放送があって、奥から爆風(送風機の)がやってきました。
彼はちょっと疲れているように見えるが、どんな気持ちで発破のスイッチを押してるのかな?
昭和時代
昭和時代はさらに機械化、合理化が進んだ模様。
働く鑿岩夫さん
休憩する坑夫さんたち
開運洞
坑内の気温は10℃
乾湿計のWETも10℃ということはDRYでも湿度が高いということ。
どうみてもじめじめしてますもんね。至るところで水が滴り落ちてきます。
外との気温差は20℃以上ですよ。ひぇ~!
開運?!これは行かねば。
お堂はないのね。洞なのね。
ここでのお賽銭は当然、10円玉ですよね。どうでしょう。銅でしょう?
蝋人形?
銅資料館に向かって歩いていきます。
人がいる!
なんだ、蝋人形か。
と思ったら、その奥に本当に人がいた!🤣
ボーイスカウトの少年少女たちを撮る写真屋さん?
彼らは相当、後ろのはずなのになんで先回りしてるの?!
本物の人だったので逆にちょっとビックリしました。
銅資料館
原さん?源さん?じっくりと見たいけど見てられないかな。
上をご覧くださいってあったけど見てない気がする。(泣)
トロリーで架線から電気を受けて走るトロッコ。
足尾銅山の模型
製錬で出る有害なものを渡良瀬川に流し続けていたので流域はどんどん汚染されて公害が増えていったんですよね。
選鉱、製錬を経て銅になるみたいだけど、昭和31年に自溶製錬法という方式になってようやく無害で製錬できるようになった?のかな。
明治は富国強兵が優先されて、近隣住民や下流の人々の健康は脅かされ続けていたというのが悲しいですね。
20kgの銅を両手で持ちあげてみました。
うーん、いろいろと詰まっているようでとても重い!片手は無理だな。
銅製品と緑青
外に出る最後の道。
身近にある銅製品。お世話になっております。
ただ、うちには銅の鍋はないですね。
手入れに手間はかかるけど使いこなせるとプロっぽいらしい。
水を拭き取るのを怠ったりすると緑青とかが出て、見た目がねー。
侵食されて読めなくなってる。
ただ、緑青が無害ってのを強調していることは分かりました。
これらも緑青なのかな?
身近に緑青の色があるので気にかけてみると面白いかも。
まだ足尾銅山は続きます。
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