夏が終わる
ここ最近忙しかった。仕事で忙しかったなんて言えたらいいのだけれど、私の場合は、最低限の生活と遊びで、忙しかった。
1週間に3回ほど、職場の先輩に誘われて、仕事終わりに車2台ほどでドライブへ出たりする。深夜に寮へ戻り、みんな眠い目をこすりながらそれぞれの寮に吸い込まれていく。
九州にいる2ヶ月半で勉強したかったことがあった。読書もしたかったし日記も毎日丁寧に書きたかった。部屋の掃除も毎日欠かさずしたかったし、スキンケアにはすごく時間をかけたかった。朝は早起きして毎日元気に職場へ行きたかった。
それが全部叶えられなかったなあと、今更思う。
九州へ来て2ヶ月。やりたかったことはほとんど全部やらなかった。やれなかったんじゃなくて、やらなかった。
決して悪い感情ではなくて、ただ単純に、私が望んでいた生活よりも今の生活のほうが楽しいから。だから、もう、いいやと思った。心地の良い諦めって、やっぱりある。諦めたほうが良い方向に進むことって、たくさんある。
やると言ったくせにやらなかった人に対してみんなは厳しいと思っていた。
大学を中退した私を、コロナで職を失った私を、心を病んで毎日自分の部屋で泣いているだけの毎日を送っていた私を、世間は、許してくれないだろうと思っていた。
だけどここには色んな人がいた。
世界中の風俗を飛び回っていた人、就職するのが嫌で色んなところでバイトしてる人、就職した会社を2週間で辞めた人、自分の会社がうまくいかないからバイトしに来た人。
その、生きる道が一本ではないと最初から知っていたみたいな人間が好きだから、私は、誘われるたびに深夜のドライブへ出た。
もちろん、こういう働き方や生き方が向いてないという人もたーくさんいるので、これが正解と言いたいわけではないが。
色んなところで産まれた人間たちが集って、色んなところの方言で、色んなことを語った。ドライブへ出るたび、誰かと会うたび、どうして話が尽きないのかわからなかった。手を叩いて笑った。誰かの肩で眠った。職務質問された。そしてまたみんなで笑い合った。
それが、よかった。
人との繋がりなんて上辺だけだと思っていた私は初めて、上辺だけで勝手に終わらせているのは自分なんだと知った。
夏をまた迎えるとき私は、笑っていられるだろうかと考える。
ここで出会った人たちのことを思い出して、もう2度とみんなで集まれないのかと感じて辛くなるかもしれない。その不安に耐えられないかもしれない。
夏という季節が嫌いだ。盛り上がった祭りの後の静かな空気が嫌い。夏のイベントの片付けをするときの虚しさが嫌い。夏を楽しむほど、嫌いになる。
夏は短いからいいなんて言う人もいるけれど、私にはそうは思えない。
「矢野ちゃん」
みんながそう呼ぶ。
年齢もよくわからず、出身地もよくわからず、だけどみんな同じ車に乗って、
どこかよくわからない場所を、
知ってる流行りの歌を、
爆音で流しながら走ってる。
また会えたらいいなんて誰もはっきりと口にしない。
そういう、夏特有の儚さに、みんな麻薬のように、ハマっちゃってんだ。