大阪中之島美術館「醍醐寺展」!大阪天満宮&四天王寺周辺の神社仏閣【大阪ミナミシリーズ/大阪キタシリーズ】◆大阪キタ④/大阪ミナミ⑭◆
2024年6月の旅行記です。身内の不幸で忙しく纏めて公開します。
大阪北摂
大阪・茨木神社
大阪ミナミ→キタ
一心寺
安居神社(安居天満宮)
清水寺(清光院)
大江神社
愛染堂
大阪天満宮
下図は未公開NOTEです。2025年前半に公開します。
▼旅行記
▽2024年05月31日(土):茨木神社
#茨木神社 :信長の逆手をとってスサノオ祀り「茨木神社」本来の神様を守る【大阪北摂シリーズ】
スサノオを主祭神とする神社だが、本来の神社は奥宮で、1200年以上前に鎮座した神様がいる。なぜ?スサノオに変えたのか?それは本来の神様を守るための愛である。
804年、坂上田村麻呂は和泉・摂津両国に天皇巡幸時の仮宮殿・行宮設定のために派遣され両国の各所を巡視した
807年、坂上田村麻呂が荊切の里造りする
同時に「天石門別神社」を鎮座させ、人々が住みだす
927年、延喜式に摂津国嶋下郡十七座の一つとして、天石門別神社の名が記されている
中世、楠木正成が村近くに砦を築いて後、戦国時代には城郭が整えられ城下町へと変貌し、天石門別神社も現在地へ奉遷された
高槻城主・高山右近が、織田信長に倣い神社仏閣を焼却するに際し、信長が天照大御神、春日大神、八幡大神及び牛頭天王(素盞嗚大神)の諸社は焼くべからずとしたので牛頭天王を祀ると詐称して焼却を免れたとか
1622年、牛頭天王、春日大神、八幡大神を祀る社殿を新たに築いて本殿とし、天石門別神社を奥宮として今日に至る
境内奥には、かつて豊かな水の惠みを与えてくれた井戸「黒井の清水」の跡がある
この水は、豊臣秀吉が茶会の際に用いたと伝えられている
詳細は次のNOTE参照。(https://note.com/yanma_travel/n/n550d519ea694)
▽2024年06月15日(日):大阪ミナミ
#一心寺 :納骨で出来た仏像「一心寺」高齢化を救う道【大阪ミナミシリーズ】
寺のほとんどが檀家に支えられているとの認識だが、ここは宗派に係らないところ。どの宗派でも納骨できる寺で、順番に個別でお経を読まれ、システムマチックに流れていく近代寺に感じる。面白いのはここの阿弥陀如来は納骨で造られているというところだ。
#安居神社 ( #安居天満宮 ):真田幸村最後の場所「安居神社(安居天満宮)」大阪名物・粟おこし発祥【大阪ミナミシリーズ】
真田幸村終焉の地!本来は鉄の神様だが、金運の神様で名高い「金山彦大神・金山姫大神」も祀る。社務所横にある「霜降り明星 せいや亅さんの絵馬があるようです。
スクナヒコ、菅原道真を祀る古社
901年、菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母の覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した
当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。
これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている
942年、道真死後に道真の霊を祀る
四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご)することもあり、「安井」が「安居」になったとか
境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」がある
大阪夏の陣にて徳川軍へ攻め入った真田幸村が敗走し、この神社で休憩をとっていたところ、敵兵に発見されついに討ち取られたと伝えられている
大坂夏の陣で徳川方に討たれて戦死した真田幸村の記念碑が建てられている
1945年、太平洋戦争の災禍で社殿は焼失
1951年、大丸を始め奉賛者の寄進により復興
詳細は次のNOTE参照。(https://note.com/yanma_travel/n/n03f7147219dc)
#天神坂 と #清水坂
清水寺へ!!天神坂、清水坂と京都に繋がる名称が多い。
#清水寺 ( #清光院 ):大阪の清水寺舞台「清水寺(清光院)」音羽の滝もあるな・・・【大阪ミナミシリーズ】
京都・清水寺と同じく「清水の舞台」と「清水の滝」がある。新西国三十三霊場であり、四天王寺(私のNOTE)の支院でもある。正式名は「有栖山清光院清水寺」とのこと。
詳細は次のNOTE参照。(https://note.com/yanma_travel/n/nff5839b8607f)
#大江神社 :狛虎が阪神タイガース聖地?「大江神社」四天王寺七宮のうち四宮が集結【大阪ミナミシリーズ】
愛染さんのお隣に鎮座。この地域の神社を合祀され続け、四天王寺七宮のうち四宮がここに集結し、神仏習合の名残も残す面白い神社。毘沙門天が安置されたので狛犬ではなく狛虎なので、阪神タイガースのファンの聖地になっている??
上之宮、小儀、土塔、河堀、堀越、久保の各社と共に天王寺七宮と云われた
四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられている
天王寺北村の産土神・トヨウケを祀る
1236年、歌人・藤原家隆がこの地に移り住み、住居として「夕陽庵」を設けた
いつの頃よりか神仏習合をして毘沙門天を祀り、乾の社と称して四天王寺の所管となり、境内に神宮寺を建て祭祀も僧がおこなっていたそうな
明治維新後の神仏分離令で、今の社名に改称
社名は大江岸に続いた社地であったことから大江神社に改称
その後、土塔神社からスサノオ、上之宮神社から欽明天皇、オオナムチ、クナヒコ、男山八幡神社から応神天皇、小儀神社からスサノオを合祀した
先の戦争にて絵馬堂と神器庫以外は焼失したが、氏子崇敬者により本殿、拝殿が復興された
詳細は次のNOTE参照。(https://note.com/yanma_travel/n/n15f283a091be)
#愛染堂 :大阪三大祭り愛染祭「愛染堂(愛染堂勝鬘院)」聖徳太子設立の社会福祉施設【大阪ミナミシリーズ】
日本最初の社会福祉施設「施薬院(せやくいん)」として建立しつつ、聖徳太子所縁の場所。施薬院とは、仏教の教えによって設けられたもので、薬草を栽培し、人々に病に応じてそれを与える福祉施設のこと。あと、豊臣秀吉が再建した多宝塔@重文も見逃せない!
593年、聖徳太子は敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つからなる四天王寺を建立
その中の1つ「施薬院」はあらゆる薬草を植えて病の人々に与えるもので、現在の「愛染堂」である
その後、聖徳太子が勝鬘経(しょうまんきょう)をここで人々に唱えたということから、愛染堂の別名を「勝鬘院」としたそうな
詳細は次のNOTE参照。(https://note.com/yanma_travel/n/n2d2f630f6c13)
#松のや 四天王寺前夕陽ケ丘店:ランチ
#醍醐寺展 : #大阪中之島美術館 「醍醐寺展」
詳細は次のNOTE参照。2024年7月中旬に公開します。(https://note.com/yanma_travel/n/na193a2ee4eea)
京都市伏見区に位置する世界遺産「醍醐寺」は、国宝7万を持っているのは権威、権力者、公家、武将の篤い崇敬から成り立っている。2024年大阪中之島美術館で国宝14件、重要文化財47件一挙公開された。過去に東京でも醍醐寺展が行われているので、Lets見比べ!!
公式HPなどです。
#大阪天満宮 :大阪の夏・天神祭「大阪天満宮」【大阪ミナミシリーズ】
日本三大祭り「天神祭」で有名な天満宮。閑散とする商店街が多いが、ここは賑わっていますね。社殿は焼失を繰り返し江戸時代のものが多いのだが、祀られる神様、社殿は北野天満宮(私のNOTE)、太宰府天満宮(私のNOTE)と同じく天満宮造になっている。あと、伏見稲荷大社の奥院と称される「白米稲荷社 」と神社アトラクションはびっくりした・・・。
650年、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造ったときに、都の西北を守る神として大将軍社という神社を祀り、大将軍の森とした
901年、主祭神の菅原道真は太宰府へ向かう途中に大将軍社を参拝した
949年、菅原道真没後50年後、大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせた
これを聞いた村上天皇は、菅原道真を祀るように指示した
#帰りの阪急電車と夕食
よし!世界遺産20周年なので熊野詣に行くことを決めた。マグロ三昧の旅へ行きます。
▼旅行記一覧
▼じゃらん(簡易版&ルート確認):なし
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