通常非公開!特別開扉「路地ぶら ならまち」レア仏像と中将姫!!2024年2月分◆奈良㉘◆
近年、奈良で毎年1月2月に「ならまち」で通常非公開の寺や仏像御開帳がある!2024年は「きたまち」も参加!案内付き拝観&御朱印授与が可能。まだ知られていないのか人は少ない!!
1月は『通常非公開!特別公開開扉「路地ぶら ならまち」2024年1月分◆奈良㉗◆|やんまあ@旅行記 (note.com)』です。
▼ルート:地図を見ながら後述の見どころをどうぞ
▼見どころ▽2024年2月10日(土):
#興福寺 を通って、#ならまち へ
いつもの駐車場からならまちへ。行きは興福寺境内に入らずに北側を抜けます。
ランチ #カナカナ
1月は休みをされていたので行けなかった。妻が行きたがっていたところへ。たぶん10:45ぐらいかな?遠くから列が出来ているのは分かった。こんなこともあろうかと、カナカナがダメなら横の洋食屋さんで良いやとサブプランを用意していた!
店に近づくと列が出来ていたのは横の洋食屋さんだった・・・。カナカナは5組目だった。
で、看板で気づいた。お隣さんは先月ランチした「 #Cafe春 」と姉妹店とのこと。そこより美味しいのか??今度行こうかな。今回はならまちを流行らせたカナカナへ!
トイレは店奥。11:45ぐらいに出たのだが、列になっていましたね。この後は元興寺で時間をつぶして、後述する寺に行くわけですが、外までいっぱいになっていました。開店前に行くことをオススメします。
#元興寺
今回の主目的のところは、12:30からです。明らかに「ならまち」でお金を落とさせようとしているのでは?と思ってきた。時間があるので、久しぶりに妻が一番好きな如意輪観音がいる元興寺へ!
ランチ時なので継体は過去で一番空いていた。詳細は次のNOTE参照で、写真をペタペタ貼ります。
今まで数回拝観しているが、世界遺産なので人が多く、載せられる写真が少なかったんですが、今回は多く載せられますね。
通常非公開!特別公開「 #興善寺 」快慶作?元興寺子院!法然上人直筆で昭和の大発見【奈良まちシリーズ】:奈良県奈良市十輪院畑町10
北門から入るのがよい。南門は狭くお墓を通るアプローチになるが十輪院などが通りに揃っているので南側から参拝する人が多いだろう。まっ、元興寺の跡に、ならまちを流行らせた「カナカナ」でランチして北門から入るのが良いかと。
阿弥陀如来立像より法然上人直筆が発見され「昭和の大発見」と話題に!快慶作とも言われている阿弥陀三尊像と猫あり涅槃図が見どころですが、本堂から庫裏の渡り廊下の宝物と謎の彫刻も見逃せない。
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
拝見しないと損!アフロ仏!歓喜天「 #十輪院 」石仏龕!両頭愛染明王【奈良まちシリーズ】
前から知っていた国宝の本堂に、本尊は石の厨子!石仏の地蔵菩薩立像!!で、超レア仏像のアフロ仏こと「五劫思惟阿弥陀坐像」がいることを!!!
しかし、それを超える衝撃が!!!!密教では絶対秘仏とする「歓喜天」が普通に2体安置されている!!!!!高野山・天野社と京都・石清水八幡宮と東光寺(門戸厄神)のみだと思っていた「両頭愛染明王像」も・・そして背中を合わせあっている毘沙門も・・・レア仏像祭りだ。
ということで、「!」を多用するぐらいビックリし続けた良い寺である!皆さん参拝してください。
詳細は次のNOTE参照だが、移築させます。詳細版は、2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。
詳細版です。
通常非公開!特別公開「 #金躰寺 」元興寺別院〒630-8312 奈良県奈良市十輪院町6
近くには十輪寺や法徳寺があり、元興寺子院だったところ。三尺阿弥陀如来立像と清凉寺式釈迦如来立像が安置されている。
本尊は阿弥陀如来立像で、脇壇に江戸時代の善導大師・法然上人の両祖師像、開山良誉上人坐像が安置されている。左脇壇には、江戸時代の清凉寺式釈迦如来立像と十大弟子が安置されている。
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
通常非公開「 #高林寺 」元興寺塔頭!中将姫ゆかりの尼寺【奈良まちシリーズ】〒630-8317 奈良県奈良市井上町32
東大寺三昧堂の旧本尊・千手観音像は、ここの本尊であったとか・・。まっ藤原豊成の菩提寺なのでおかしくはないか。その娘・中将姫ゆかりの寺が集まる地域にある寺。称念寺、誕生寺、徳融寺とセットで行くべきところですね。
770年か781年、藤原魚名の娘が中将姫に仕えて尼となり、現在の奈良市高御門町で中将姫の父・藤原豊成の廟塔を守って居室を尼寺とした
1180年、平重衡の南都焼討によって焼失し、永く再興されなかった
元興寺の一院で、奈良時代の右大臣・藤原豊成の菩提所
藤原豊成公の屋敷跡に建立された
境内には藤原豊成の古墳がある
藤原豊成の亡き後に、藤原南家の興隆を願い、「豊成山高坊高林寺」と名付けた
本堂には藤原豊成と娘・中将姫(ちゅうじょうひめ)の木像が安置されている
1534年、現在の地に尼室を移し、寺を再興し、法相宗から融通念仏宗に改宗
安土・桃山時代には奈良茶人「高坊一族(たかぼういちぞく)」が住み、ならまちの数寄者の一大サロンを形成した
茶室「高坊」はこの数寄者を顕彰するために建てられた
本尊は阿弥陀如来
門前の「中将姫修道霊場 豊成卿古墳之地」と刻まれた石碑がある
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
通常非公開!特別公開「 #称念寺 」法然と重源!東大寺復興の道【奈良まちシリーズ】〒630-8327 奈良県奈良市東木辻町42
重源上人を開基なので快慶作の仏像あるのでは?と期待を膨らます寺。法然の推挙により重源が兵火により焼けた東大寺を復興するよう、この寺に腰を据えて指揮を執る。
境内に入ると仏塔だと思ったのだが、「無縁塔」と呼んでいるようだ。多くの墓石が積み上げられ、一番上の石碑は六字名号碑のよう。1614年に建立されたよう。
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
通常非公開!特別公開「 #誕生寺 」中将姫生誕の地を伝える寺院【奈良まちシリーズ】〒630-8331 奈良県奈良市三棟町2
中将姫誕生と産湯井戸の場所!!正式には「異香山法如院誕生寺」といい、中将姫(中将法如比丘尼)が誕生した地とされる。本堂裏の庭園に中将姫産湯の井戸が残り、本尊は自作「中将法如尼坐像」である。
中将姫は紆余曲折の人生があり、継母に虐待されて苦難の後に當麻寺の尼僧となり、当麻曼荼羅を織り上げて、阿弥陀三尊と二十五菩薩の来迎により極楽浄土に往生したという伝説がある。その伝説を表現した庭園も見逃せない!!
誕生寺は、多くの文楽や謡曲などの題材として扱われる「中将姫」誕生の地
743年、中将姫の誕生
元興寺がこの地一帯を境内としていた頃は「誕生殿」とも呼ばれていたとか
中将姫の父・藤原豊成の邸があったとされる場所
本堂には、中将姫自身の作と伝わる中将姫坐像が安置されている
父・藤原豊成も安置されているので親子仲良く安置されている
本堂裏にには、中将姫産湯の井戸がある
本堂裏には阿弥陀三尊を安置する極楽堂があり、極楽堂に向けて、極楽往生の姿をうつした25体の石像菩薩が並べられている
極楽堂の地下に井戸っぽいものがあり石仏がある
1826年、本堂再建を記した文書が伝わる
中将姫の両親が子授け祈願に長谷寺(私のNOTE)へ毎日通い、その道端で拾った石像があるのだが、地下にあります!?
注目は足元です!!「石造中将姫坐像」があるとか・・・。これ神仏分離令で広まった廃仏毀釈を逃れるために隠したのでは?と思ったのは私だけだろうか?ただ、この説が正しいならば、十輪院などの石仏の首と顔は削られている気がするので間違っているかも。
父上は「高林寺」ですね。豊成・中将姫父子の墓があるのが「徳融寺」ですね。詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
赤ん坊を抱く仏像「 #徳融寺 」中将姫が生まれ育ち元興寺の子院!北条政子!?【奈良まちシリーズ】奈良県奈良市鳴川町25
赤ん坊を胸の前に抱き上げた珍しい姿の子安観音像が安置されているのだが、元々は聖観音でキリシタンのある方が、この観音に感動して、腕あたりを改修し、今の子安観音になったとさ。
右大臣・藤原豊成の邸宅跡に位置し、中将姫が生まれ育った場所で、親子そろって眠っている。最後に、本尊・阿弥陀如来立像は鎌倉時代のもので北条政子が念持仏としていたものとか・・・。
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
#鎮宅霊符神社 :奈良県奈良市陰陽町
詳細は次のNOTE参照。(2025年公開前提で、直前の2024年年末に公開予定。)
#興福寺
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▼じゃらん(簡易版&ルート確認):なし
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