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足利将軍15代仏「等持院」水上勉の嘆き衣笠山【きぬかけの路シリーズ】【嵐電シリーズ】【京都ツウシリーズ】

 きぬかけの路は京都の特徴を掴んだ観光コースである。金閣寺、龍安寺、仁和寺など有名どころ以外にも見どころがあります。その一つが「等持院」ですね。隣の「六請神社」と「真如寺」もセットでどうぞ!真横なので!!

 水上勉氏はここの少年僧だったようだ。14歳から6年間をここで過ごしたらしく、有名になり訪れた時は嘆いたようだ・・。

変更履歴
2023/06/13 初版

▼HP

▼アクセス

京都市北区等持院北町63

▼本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 日本一長い駅名だとか。

 息抜きに動画を挿し込む。ロックミュージカルアニメ映画『犬王』の中で、等持院が舞台となってるシーンがあるようで。

 では元に戻します。
 水上勉氏はここの少年僧だったようだ。14歳から6年間をここで過ごしたらしく、有名になり訪れた時は嘆いたようだ・・。先に何を語っているのか記す。
 水上勉氏は「寺はずいぶん荒廃していたが、現今よりも風格があった。まず、山門から中門にいたるアプローチが美しかった。(略)」と門も傾いていたりしたが自然とマッチしていた、今はコンクリになっている~土塀が無くなり家が建っている~!ただの町中の寺やないか~い・・・変わり果てた・・金閣寺と龍安寺は自然を守っているのに・・と嘆いたようだ。
 ということで、参拝すると感じるはず。なんか面白いアプローチだなと・・。

 牧野省三(まきのしょうぞう)の銅像です。牧野省三は日本で最初の映画監督で、ここに「等持院撮影所」を建設・開業した人物。大正時代に東京では撮影が難しいので、職人や撮影できる社寺が多いので、ここに構えたようだ。

山門の手前にある鐘楼

→由緒

  • 1341年、足利尊氏が天龍寺開山・夢窓国師を迎えて、衣笠山の南麓に創建したのが等持院

  • 元々は足利尊氏が室町幕府を開いた際の住居跡に建立された菩提所「等持」の別院であり、押小路高倉の辺りにあった等持寺を「南寺」、等持院を「北寺」と称した。

  • つまり、等持院は分かれており、中京区に等持寺町とあるのは、この南寺の名残である

  • 1358年、足利尊氏が没したときは、葬儀は北(等持院)で行われた

  • 応仁の乱で、足利尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移され、足利将軍家歴代の菩提所となった

  • 応仁の乱で火災に見舞われたが、豊臣秀吉も足利氏を崇敬していたようで、秀頼に建て直させたよう

  • 1818年、妙心寺塔頭・海福院の方丈を移築して再建していく

  • その後、足利家は朝廷の敵ということから、足利尊氏などの仏像を青皿に出され叩かれたりしていたようだ

  • そういうところで、参拝客や檀家も減った歴史があり、昭和まで続いたとか・・

 1341年、足利将軍家の菩提寺として有名で歴代将軍の木像がある。紅葉が美しく、庭園を前に抹茶を楽しむのが京都ツウ。2017年6月より、耐震補強に伴う解体修理中で、方丈・霊光殿の拝観は停止していたが、2022年復活したようだ。なお、書院および庭園は、引き続き拝観可能。駐車場も10台分ほどあります。

→拝観入口「庫裏」

 庫裏の天井も見どころです!そう、天龍寺を思い出しますね。

 まず、「達磨図(だるまず)」が出迎えます。達磨図は臨済宗の僧である関牧翁(せき ぼくおう)によって描かれた。

 「ダルマさんが転んだ」で有名で、聖徳太子の愛犬・雪丸は達磨大師の生まれ変わり説がある達磨である。

→方丈と庭園

 枯山水ですね。方丈は写真撮影NGですね。仏像、襖絵などがあります。1818年に妙心寺から移築された建物です。

 土塀は、5本の水平線が描かれている。これは、皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まり。

  • 1616年、福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立

  • 1812年、等持院に移築され、南庭をひかえた広縁は鶯張り

  • 方丈の襖絵は狩野興以作で、映画の撮影所が等持院境内に出来て、ロケに使用されたために破損したが修復され、年一回の寺宝展で公開される

→霊宝殿

 方丈と庭園を見た後は霊宝館です。

 1358年、足利尊氏死去し、ここに葬られたそうな。2022年に霊宝殿が修復完了し、足利将軍15代すべての像が安置されている。本尊は足利尊氏の持念仏といわれるキュートな「利運地蔵菩薩立像」である。

 脇侍には達磨大師座像、夢窓国師像になっており、左右に足利将軍たちの像が13体が並ぶのだが、間は歯抜けになっているのだが理由は不明。
 しかし、幼い子も将軍だった時代があるようで、体が小さいのもあったことから結構、リアルに作ったのかな・・??とすると、3代足利光満のあの髭もリアルだったのか・・。

 なお、この足利将軍は尊王攘夷派により南朝が正統派という考えをすべく、足利尊氏などを天皇の敵とし、この仏像の首を河原町に晒したそうな・・・。
 不思議なのは、徳川家康像がある。この像は厄払いで家康が作ったもので石清水八幡宮で安置されていたが、神仏分離令でここに移ったそうな。

  • 足利尊氏が日々念持仏として信仰していた「利運地蔵尊」が本尊

  • 達磨大師、夢窓国師が脇侍

  • 足利歴代の将軍像(5代義量と14代義栄の像を除く)が、徳川家康の像と共に安置されている

  • 家康の像は42才の厄除けの霊験を受けたもので、当初は石清水八幡宮豊蔵坊にあったが、廃仏毀釈後に等持院に移し、本尊と共に利運を願う人たちに信仰されている

石清水の文字がある
石清水八幡宮の表参道に寺跡がある


 大正時代にはマキノ省三監督により映画撮影所が出来上がる!?つまり映画人の寺となる!?ということで、境内には肖像がある理由である。

→庭園

 心という池に緑があり庵がひっそりと佇んだ落ち着いた風景で、四季折々の花々が咲く。庭園の中央には足利尊氏の墓がある。
 この庭園は下に降りられるようにスリッパと傘が用意されているので、晴れの日や紅葉時はどうぞ!(2023年参拝時は雨だったので堂内から楽しむ)

 この庭園は作庭家である「夢窓疎石(むそう そせき)」により作られた。夢窓疎石は、苔寺で有名な西芳寺や天龍寺の庭園も作庭している。

 庭園は「清漣亭」がある。方丈北面の小高い山に建つ茶室で、1799年の「都林泉名勝図会」に記載されている。その後ろには衣笠山を望むことができたが今は立命館大学が見える。
 この茶室は、室町幕府の八代将軍・足利義政が好んだ茶室と言われている。

 書院の内側の部屋からの庭園。

 茶席にもなっていますので、ここで一休みですかね。

▼旅行記、セットで行くところ



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