新選組!壬生寺横「新徳寺(新徳禅寺)」通常非公開!快慶作??
新選組の本拠地は壬生寺、八木邸、前川邸などになるのだが、徒歩1分以内に新選組所縁の非公開寺がある。が、2023年、新選組結成160年記念で『京の夏の旅』で初公開!新選組好きは集合です!!!私の目当ては本尊です。この仏像の顔は、快慶ではないか?と思ってしまうのだが、真相はいかに??
八木邸の斜め向かいで、1863年2月、江戸から上洛した浪士隊が本陣とした新徳寺である。そして、新選組に続く寺である。
壬生寺とセットです!
2018年は入れなかったですね。念願の参拝です!
壬生寺の私のNOTEは次の通り。
変更履歴
2023/09/09 初版
▼HP なし
▼アクセス
京都市中京区壬生賀陽御所町48
▼祭神・本尊と脇時
准胝観音坐像
▼見どころ
1739年、永源寺113世・天巌文聡が開山
万年寺など四寺を併合して「新徳寺」として建立
1862年、庄内藩郷士・清河八郎の献策を幕府が受け入れ、第14代将軍・徳川家茂の上洛の警護の名目で「浪士組」を募集
1863年、清河八郎が近藤勇らと京都に入るが、幕府を出し抜いて、幕府の名で浪士を集め、討幕勢力という真逆の集団にする
「われわれの上洛の真の目的は将軍警護にあらず、尊王攘夷の先鋒にある!」と熱弁をしたのがこの寺である
清河八郎らははサクッと江戸に帰る!?
ただし、近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・芹沢鴨らは、将軍警護のための京都残留を決める
京都に残留したのが新撰組で、八木邸・壬生寺を拠点とする
地蔵菩薩は他の廃寺から客仏として安置されている
洛陽地蔵二十四か寺巡りの第2番霊場で「第2番 屋根葺地蔵尊 万年寺」の石碑がある
2023年7月に特別公開。10:00からか~。。ということで壬生寺をブラブラする。(2013年の「そうだ 京都、行こう」でも内部公開したようです。元旦も本堂に上がり、本尊拝観ができるという情報も)
滋賀県東近江市にある紅葉で有名な永源寺なんですね~。(2023年7月時点で出していないな~)
本堂は江戸時代のもの。屋根には「猿」がいる。災いが「去る」という意味合いだったかと。
→本堂内、秘仏
堂内に入ります。10:00開始です。
本尊は准胝観音坐像、右に地蔵菩薩、左に不動明王である。本尊前には小さな誕生釈迦如来が安置され、周辺の廃寺から仏像だと思うが、揃っていた。
では、本尊です。顔は快慶っぽいんですよね。生で見ても・・。そう、醍醐寺の弥勒菩薩坐像@重文と安倍文殊院の渡海文殊菩薩@国宝クラスなんですよね。
仏像の写真はNGなので、許可を頂いて本堂内のパネルの本尊を1枚頂いた。結論からいうと、やはり本尊・准胝観音の顔は快慶なんじゃないか?と思ってしまう。ただ、体は違うなと。「京の夏の旅」などは説明していただける企画展なので、仏像の質問をしたが、時代などもよくわかっていないようだ。少なくとも台座だけ見ると江戸時代に感じた。
さて、地蔵菩薩像ですが、屋根葺地蔵とも呼ばれている。1230年、平資親が創建した星光寺にあった石像で、洛陽六地蔵巡りの一つであったとか。この地蔵菩薩を信仰していた老女の自宅屋根が台風で吹き飛んだ際、地蔵が若い法師に姿を変えて屋根を葺いたという逸話によりこの名がついたようだ。星光寺は廃寺となり、隣にあった万年寺に仏像が移された。万年寺は新徳寺と合併し、新徳寺に仏像が移されたそうな。
新選組や仏像写真があるページを紹介します。
→新選組
清河八郎に率いられて浪士が始めて上洛して近藤勇らが京の残留を決め新選組となる。尊攘建白書提出の大演説が行われたようだ。詳細は次の通り。
浪士隊の長・清河八郎はある夜、総勢234名全員を新徳寺に集め、尊皇攘夷の大演説を行った。将軍警護の目的で上洛したのに。。。。
早々に江戸に戻ることになった清河八郎らに反して、芹沢鴨・近藤勇ら13人は京都に残ることに決めた。新選組誕生に続く!
本堂内には、土方歳三、近藤勇、坂本龍馬、清河八郎に山岡鉄舟らの肖像画がある。本堂の左手裏側には小さな枯山水庭園がある。
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