【奈良】相撲発祥!穴師兵主神社・大兵主神社・相撲神社
相撲は国技か?と問われれば、記紀を読むと「日本古来から続く神事」ということは言えるだろうか。石上神宮→大和神社・長岳寺→大神神社に行くなら、ここにも行くべし!場所は長岳寺と檜原神社の間にあるので、「山の辺の道」を歩く人はテクテクしてもよいかも。
変更履歴
2020年08月09日 初版
HP
なし
▼アクセス
奈良県桜井市穴師493
▼祭神
兵主神
▼見どころ
大兵主神社は穴師坐兵主神社、穴師大兵主神社、卷向坐若御魂神社を合祀した神社で、三社とも式内社に比定されている古社。共通する「穴師」は「穴を掘って鉄を発掘する人」を指す。いつ頃からかは不明だが、相撲神社もある。
▽大兵主神社
本殿中央が兵主社、右が若御魂社、左が大兵主社。
本社は崇神天皇の時代、倭姫命が天皇の御膳の守護神として奉祭された。 元々、弓月岳にあった穴師坐兵主神社(上社)が、応仁の頃に焼失し、現在地に鎮座していた穴師大兵主神社(下社)に合祀され、同じく巻向山にあった卷向坐若御魂神社も合祀されて、現在のような祭祀形態となったそうな。
ここが面白いのは「素鵞社」は「出雲大社造」で出雲大社本殿裏と同じで、稲田姫社・須勢理姫社とオオクニヌシの妻が祀られているので、出雲色が強いこと。
▽相撲神社
『日本書紀』によると、垂仁天皇の時代に、国内で初めて当麻蹴速と菅原氏の祖・野見宿禰による天覧相撲が行われたとされる場所。昭和の大横綱・大鵬と柏戸による土俵入りが奉納され、翌日の新聞には約十万人の人出があったと報じてられていたそうな。
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