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安倍氏と秦氏?伊賀一之宮&元伊勢・敢都美恵宮「敢国神社」能楽の祖・観阿称【伊賀シリーズ】

実は安倍氏の祖神を祀り「あえくに」と読み、地元では「あいくにさん」の愛称である。658年創建の古社で、一の宮であり、元伊勢「敢都美恵宮」でもある。秦氏が開拓に関わっているようで、能楽の祖・観阿称がここ出身のようだ。

変更履歴
2022/08/04 初版

▼HP

▼アクセス

三重県伊賀市一之宮877

▼祭神

大彦命(オオヒコ)・・・第八代孝元天皇の皇子。崇神天皇の御代四道将軍の一人。安倍氏の祖神で、母は物部系である。
少彦名命(スクナヒコ)・・オオクニヌシの相方
金山比咩命・・・・・・・・金山毘古神と同じく鉄の神

少彦名命(公式HPより)
古代伊賀地方には外来民族である秦(はた)族が伊賀地方に住んでおり彼らが信仰する神が当社の配神(はいしん)である少彦名命
(略)
たとえば伊賀の組紐伊賀焼・酒造等があります。又、芸能にもみられ、鎌倉時代に盛んになった能楽の祖と言われる観阿称は、伊賀の出身地であります。能楽が武士階級の娯楽に発展し、又、同じ頃に獅子神楽が庶民階級に発達していきました。

金山比咩命
美濃国一宮・南宮大社から、金山媛命を勧請。南宮大社の祭神は金山毘古なので対である。まるで、伊勢神宮の内宮と外宮、下鴨神社と上賀茂神社、伏見稲荷大社と松尾大社、若狭彦神社と若狭姫神社などと同じく二社でセットなのだろう。


▼見どころ

 鳥居から拝殿へのアプローチがよい!!って、山の麓に鎮座しているのだが、昔は「南宮社」と呼ばれていた。

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 主祭神「大彦命(オオヒコ)」、配神「少彦名命」、「金山比咩命」となっている。

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 オオヒコは「四道将軍」の一人で、平定後にここに住んだと言われている。ここは一の宮であり、元伊勢「敢都美恵宮」候補の1つでもある。

 この日は14:00より御田祭だったので、スーツで正式参拝している人や見るからに農業している人が勢ぞろいしており、見ようと思ったが、なかなか始まらずタイムアウト。人が多かったので写真は載せません。

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↑拝殿 ↓祝詞殿。

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舞殿、拝殿、本殿はわかりますが、祝詞殿は珍しい気がします。そして本殿が見れません・・。いや、見えません・・。本殿右に六所社、本殿左に九所社があるのだが、当然・・見えません・・。六所社はイザナギ・イザナミ・日神・月神・ヒルコ・スサノオを祀り、九所社の祭神は不詳のよう!?

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 元伊勢の雰囲気はあまり感じなかった。京都の貴船神社、奈良の高天彦神社、丹生神社あたりを思い出す神社。

 境内には「桃太郎岩」というのがある。古伝によると、南宮山頂から遷したそうで、安産及び子授けの守護の霊岩として全国各地より信仰をあつめているとのこと。

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子授社

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むすび社。

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 大石社です。境内左に鎮座しており、元々社殿はなかったのではないか?とも思う。NOTEを書いているときに思い出したが、ここは大神神社と同じくご神体は山だったかと。なので、社殿はなかったのかもしれない。

 祭神は、須佐之男命、金山比古命、大山祇命、大日靈命、大物主命となっている。
 日本書紀のはじめだけ記されている「大日靈命」ことアマテラスである。いや太陽神としておこう。なんとも言えない神の組み合わせである。明治に三重県の指令により村内にある津島神社と琴平社を大石社に合祀したそうで、スサノオとオオモノヌシ以外が元々の神と言えようか。となると本殿にで祀られる「金山比咩命」がいるので「金山比古命」がもともと祀られていたのかなと思う。

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 あれ・・元伊勢候補地だよな・・アマテラスではなくオオヒルメですかね・・。
 しかし謎めいている・・。ちなみに安倍氏といえば奈良・安倍文殊院、大阪・安倍系の神社、京都・晴明神社、福井・晴明神社だが、古墳は少ないので、ここで力をつけたのかも。

 ちなみに安倍氏と蘇我氏は継体天皇時代に頭角を現し、東とのつながりが強い。同時に頭角を現し、同時に歴史から消えていくのは、偶然か藤原氏の粛清かは謎であるが匂うよな~。そして、安倍家は京都に移り、安倍晴明で権威・権力側で活躍するが、その後末裔は福井方面に旅立つ。福井・・それは継体天皇の故郷でもある。

安倍晴明の足跡!京都「晴明神社」福井×2の3本勝負(2023年お正月公開)。

→獅子舞

▼旅行記


▼セットで行くところ


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