神仏習合!多賀SAから徒歩5分「胡宮神社/大日堂」多賀大社とセット【滋賀湖東シリーズ】
「このみやじんじゃ」は隠れ紅葉スポットで湖東三山と多賀大社とセットかと。多賀サービスエリア(下り)のガソリンスタンド脇に胡宮神社へ続く道がある。神仏習合!4月20日~5月10日 は聖徳太子が作った「八尺五寸の聖観音」といわれる「石造観世音立像」が公開。
紅葉といえば湖東三山という人もいるかと。
そして多賀大社も!
変更履歴
2023/11/04 初版
▼HP なし
▼アクセス
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49
▼祭神・本尊と脇時
事勝国勝長狭尊(コトカツクニカツナガサノミコト)
・・・別名は塩土翁。イザナギとイザナミの御子説もあるイザナギ・イザナミ
▼見どころ
名神多賀サービスエリア内より遊歩道があるので、高速を降りなくても、参拝可能なんだそうな。
→参道
敏達天皇の勅願所
聖徳太子によって創祀
延喜式に、「多何神社(近江国・犬上郡)」は多賀大社に比定されるが、そこには「二座」とある
鎌倉時代には重源が東大寺を再興する際に延寿祈願をして、20年延命したと伝わる
鎌倉時代の頃から隆盛をきわめた敏満寺の鎮守社となる
中世には多賀大社の末社、奥宮ともされ、イザナギ・イザナミを祀る
明治神社誌料によると「創建年代は不詳とされるものの、本社に納められた赤染衛門の願文より、少なくとも一條天皇以前の建立であることは明らかで、與地志略には多賀大社と関係のある古社である」と記されている
1353年、後光厳天皇が濃州より還御する途中で足利義詮らと供にて当社に参詣
戦国時代には荒廃
1585年、豊臣秀吉が本社が建立
1638年、徳川家光の大造営によって再建され、江戸時代には福寿院が別当寺となり、隆盛をきわめた
1868年、神仏分離令によって別当職を廃し
1869年、「多賀大社胡宮大明神」から「胡之神社」と改称
1886年、「胡宮神社」と改称
→拝殿・本殿
胡宮神社の現在の御祭神は多賀大社と同じイザナギ・イザナミと事勝国勝長狭命で、寿福・延命に御神徳があるといわれている。
元々は青龍山の磐座信仰が起源とされ、今も磐座がある。その後、聖徳太子開基の天台寺院・敏満寺の鎮守社となり、敏満寺が浅井長政、織田信長の焼き討ちにあって衰退した後、神社だけが再建され今に至る。
今でもお堂に仏像が安置されている。それは後ほど。
4月20日~5月10日 は聖徳太子が作った「八尺五寸の聖観音」といわれる「石造観世音立像」が公開される。神社に石仏という感じですが、元々は敏満寺(びんまんじ)の鎮守社があり、お堂や仏像は寺のものだった。寺が残り神社が残るって、面白いですね。
ちなみに、寺は東大寺復興に協力をし、重源から異例の謝意をあらわすため、仏舎利入りの「五輪塔@重文」と「奉送状」を頂いている。今は京都国立博物館に寄贈している。
2022年、胡宮神社社務所庭園は工事中でした。
→摂社・末社
→磐座
磐座については未参拝なので他力本願で、YoutubeとGoogle画像でどうぞ。青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰とのこと。
いつか行きたい・・。
→庭園
年1回のようですね。そう!紅葉の時期!!!
→大日堂
本尊に金剛界式大日如来坐像を安置し、木造地蔵菩薩半跏像なども安置している。
胡宮神社の大日堂右に石仏がある。
▼旅行記
▼セットで行くところ
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