世界遺産「金閣寺(鹿苑寺)」京都五大閣【きぬかけの路シリーズ】
有名すぎるし情報も多いので割愛!?正式名称は「鹿苑寺」だが、金箔が貼られた舎利殿金閣が有名であるために一般的には「金閣寺」とよばれている。金閣寺は元々、鎌倉時代の公卿、西園寺公経が建立した西園寺という寺院で、これを室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿をつくったのが始まりであると考えられている。
そして、京都五大閣ですね。具体的には「金閣寺(鹿苑寺)」の金閣、「銀閣寺(慈照寺)」の銀閣、「西本願寺(本願寺)」の飛雲閣、大徳寺塔頭「芳春院」の呑湖閣(どんこかく)、「東福寺」の伝衣閣(でんねかく)(京四閣は金閣、銀閣、飛雲閣、呑湖閣で東福寺が入らない)
興味がある方は京都五大閣NOTE巡りを!?
バスに並んでいるあなた!ちょっと歩いてわら天神、平野神社、北野天満宮あたりもどうぞ!(本NOTEは1日2本公開)
変更履歴
2024/01/08 動画追加(https://www.youtube.com/watch?v=QWXZkC1ejvs)
2023/03/26 初版
▼HP
▼アクセス
京都府京都市北区金閣寺町1
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
相国寺の塔頭寺院の1つになり、鹿苑寺の境内にある舎利殿「金閣」が有名なことから金閣寺と呼ばれている
金閣寺のある場所は鎌倉時代前期には公卿「西園寺公経」が公卿・白川仲資王から所領との交換により手に入れた土地
金閣寺の前には西園寺公経による氏寺・西園寺があったとか
1335年、鎌倉幕府が倒れ金閣寺の歴史が大きく変わる
西園寺公宗が後醍醐天皇暗殺が発覚し、西園寺公経の持っていた現在金閣寺の土地を没収される
1378年、足利義満が北小路に「花の御所」という新邸を作り移り住む
その場所は平安京の北側で洛外であったようだがミニ平安京の造営を目論んだとも
この位置は藤原氏の興福寺・春日大社と同じく、権威(天皇)を見張るような位置を狙ったとも
1394年、義満は将軍職を甥・足利義持に受け渡す
1397年、義満は権力を譲り出家するのだが、衣笠山あたりに北山殿を造営し、そこに住み込む
1398年、現在の金閣寺である舎利殿・金閣が創建
義満の死後に遺言通り、花の御所などを「舎利殿」にした
この「舎利殿」が今の金閣寺のはじまりである
1419年、北山院が亡くなり、金閣寺以外の伽藍は解体され、建物自体を建仁寺と南禅寺に移された
1589年、関白・豊臣秀吉により金閣寺の寺領を350石とした
江戸時代になると、金閣寺の主要な伽藍がどんどん再建される
1649年、金閣も修理
廃仏毀釈により、他の寺と同じく経営が苦難になるが荒廃まではしなかったようだが、次第に人気回復をする
昭和4年になると金閣が国宝に指定されます。ですが昭和25年、金閣寺で悲しい事件が起こります。21歳の学僧の放火によって金閣寺境内になる足利義満坐像など焼失
昭和61年には鹿苑寺前住職・村上慈海師からの依頼により、金閣の昭和大修復
昭和30年には焼失された金閣寺を再建
2023年4月に拝観料300円から500円に!って今まで安すぎ・・。
正式名称は鹿苑寺だが、金箔が貼られた舎利殿金閣が有名であるために一般的には金閣寺とよばれている。金閣寺は元々、鎌倉時代の公卿、西園寺公経が建立した西園寺という寺院で、これを室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿をつくったのが始まりであると考えられている。参拝者専用の駐車場が3か所あるので、車で行くことも可能。
超有名だが、交通の便が悪く時間ロスが大きいところでもあるので、車で来るのが良い。言うまでもなく、森を抜け金色の建物を見ると「お~~」となる。個人的にオススメは雪化粧の金閣寺である。しかし、人が多い・・。
1950年の焼失風景は次の記事参照です。
▼旅行記、▼セットで行くところ
▼仏像展
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