この寺参拝のために鉄道通す「水間寺」桜の名所🌸新西国三十三所【大阪泉州シリーズ】
お正月などは人でごった返すそうですね。寺の背後には公園があり、桜の時期はオススメです。歌舞伎や文楽にも登場するお夏・清十郎ゆかりの寺院。
変更履歴
2023/05/23 初版
▼HP
▼アクセス
大阪府貝塚市水間638
▼祭神・本尊と脇時
聖観音菩薩
▼見どころ
▽水間寺
729年から749年、聖武天皇の勅願により行基が開基したと伝えられる
創建前、行基は白鳥と観音菩薩の化身である16人の童子に導かれて、ここに行き着いたとか
滝から龍神が出現し、龍神は行基に聖観音像を授けた
水間とは、葛城山から流れてくる近木川と秬谷川が合流する地形を指す名前で、下鴨神社、石清水八幡宮、廣瀬神社と同じく川の合流地点に鎮座する
水間観音とも呼ばれている
本尊は聖観音菩薩で訳6cmのもので絶対秘仏
1585年の豊臣秀吉による紀州攻めの兵火に遭い焼失
現在の諸堂は江戸期以降のものです
新西国三十三箇所の第4番札所
本堂は幾度かの火災により焼失している
1811年、本堂再建
1925年、現在の本堂が再建
1925年、水間寺への参拝客のために水間鉄道が敷かれ開業
愛欲染着を本体とする愛染明王を祀った愛染堂は恋人の聖地とされる
→境内
2023年の参拝日は「春ふぇすた」だった。どおりで第一駐車場が一杯なわけで。
境内に入ると三重塔と存在感のある本堂が現れる。
→本堂
前述の通り、1925年に再建されたものだが、素晴らしいと思います。あいにく参拝客が多くおり堂内には入れなかったですが。
→本堂右「聖観音出現の瀧」
本堂右側に行きますと書院などがあり、奥を攻めると「聖観音出現の瀧」などがある。
観音像が降臨したという石に伝教大師が不動尊を刻んだものや弘法大師の名号石もあるというが、全くわからなかった・・・。
戻って本堂左へ!
→経堂
聖武天皇の妙典、光明皇后の般若経、慈覚大師らの妙法経が納められているよう。
→本堂左「寺務所」「護摩院」
→三重塔
かつては「多宝塔」だったらしく、「天正の兵乱」で焼失したため、三重塔を建て釈迦如来を安置したという。
「三重塔」の初重の蟇股(かえるまた)には彩色された十二支の彫刻が見られる。
→恋人の聖地「愛染堂」お夏・清十郎
豪農の娘・お夏が祈願し、勅使・山名清十郎との恋を成就させた愛染明王が安置されている。近くに「お夏清十郎の墓」が立てられている。
南北朝時代に伏見天皇が水間寺まで参拝される
おもてなしの役を水間の豪農楠右衛門の娘・お夏が命じられる
その縁で、お供で同行した山名清十郎という凜々しい若武者に出会う
やがてどちらからともなく想い合うようになり、相思相愛の仲となってしまう
しかし、二人の身分の違いは大きく、どうすることも出来ず空しく別れることとなる
お夏は清十郎を忘れることが出来ず、毎日のように愛染明王に願いをかけ、二人の再会をお祈りする
清十郎もまたお夏への思いは日に日に増すばかりであったとか
このようなとき南北朝に合戦が起こり、清十郎も出陣することになり、奮戦するも敗戦となってしまう
清十郎の身を案ずるお夏は戦場を彷徨い巡り会う
これぞまさしく愛染明王の大功徳の現れかとお夏は感謝
その後、二人は結ばれ、仲睦まじくこの水間の地で暮らした
「愛染堂」の前に「お夏清十郎の墓」がある。
約700年前、水間の豪農楠右衛門の娘、お夏がこの「愛染明王」に祈願し、勅使であった山名清十郎との恋を成就させたといわれ、その縁で「お夏清十郎」の墓がここに建てられているようだ。
→本殿裏へ
本堂裏に抜け通天橋を渡ると国道170号線があり、これを横切って石段を上がると幾つかの堂宇の建てられているのが見える。
→行基堂
水間寺の開基である行基を祀っており、奥の院とも。
→鏡池
池の中に小さな祠「瑞泉堂」がある。この池は行基によって造られたようで「聖なる水」とするようだ。「鏡池」の名称は行基が池の面に自らの姿を映し、鏡の役割をさせたことに基づいているという。
→弁天堂
→薬師堂と阿加井
行基が聖武天皇の勅命を受け、聖観音の出現を願い自ら薬師如来像を彫ったので「薬師堂」を建て安置したようだ。
「閼伽井」は行基水または薬師井戸とも呼ばれ、行基が「薬師堂」に安置されている薬師如来にお供えした水とか。
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