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東大寺「一月堂(正月堂)」は奈良ではなく京都の「笠置寺」らしい【京都】春日大社の移築

 東大寺の紹介ページで、一月堂を目次だけ記載していたわけですが、どうも京都府笠置町にある「笠置寺」らしい。本当かどうか?参拝した!!というか、参拝して気づいただけですが・・。

笠置寺公式HPより、まあ~繋がりはあったようだ。そして、境内を周ると・・・

笠置寺の創建は古く、すでに2000年前から笠置山の巨石は信仰の対象となっていた。このことは笠置山の中心をなす大岩石の前から弥生時代の有樋式石剣が発見されたことによってわかる。しかし実際に建物が建てられ人が住み着いたのは1300年前である。1300年前、東大寺の実忠和尚、その師 良弁僧正によって笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として笠置山全体が一大修験行場として栄えたのである。



変更履歴

  • 2023/07/15 『南山城展』に行ったので感想など追加(「2023/07/15更新」でページ検索)

  • 2021/08/27 初版

▼HP

▼アクセス

京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
https://kasagidera.net/axess-163/
こんな感じの道です。

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 対向車来るな!という思いと、道狭い!という思いが押し寄せる・・。

▼本尊と脇時

本尊は弥勒仏。

▼見どころ

 奈良時代に天武天皇が鹿を追って進退きわまったとき、仏に祈念して難を逃れた。そこで大岩面に弥勒菩薩を掘り、それを本尊にしたのがはじまり。平安末期には修験道の道場として発展したが、元弘の乱で焼かれ、現在の本堂、正月堂や毘沙門堂などは室町時代に建造された。

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---↓2023/07/15更新

  • 標高288mの笠置山に鎮座

  • 花崗岩で奇岩が多く、磐座信仰も残っている

  • 『今昔物語』では、開祖は天智天皇の皇子・海友皇子とし、『笠置寺縁起』では、682年創建としている

  • 大嶺、葛城とともに一台峯としている

  • 『笠置寺縁起』では、東大寺造営用の木材を木津川で流すのに難所だったので、良弁が秘法を行い、弟子なども修法を行った地で、東大寺の「お水取り」の起源とする

  • 境内には摩崖仏は奈良時代のもの

  • 吉野・金峯山寺と並ぶ修験道の地で「笠置詣」があった

    1. 989年、円融天皇の御幸

    2. 1007年、藤原道長が吉野の後に笠置詣でをする

    3. 1118年、藤原宗忠が一族で参拝

  • 正月堂こと一月堂の本尊は現在、収蔵庫で安置されている十一面漢音立像で、平安時代の興福寺の仏像である

  • 1193年、弥勒信仰の中心地となる

  • 1203年、弥勒菩薩の摩崖仏前の礼堂を増築するなら伽藍が整えられる

  • 1331年、醍醐天皇の討幕作戦の戦火で焼失する

  • 弥勒菩薩の摩崖仏の姿もわからなくなるが、「笠置曼荼羅」に描かれているので、今でも姿がわかっている

  • 1196年、東大寺再興者・重源がこの寺に梵鐘を送っている

---↑2023/07/15更新

▽鐘楼

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---↓2023/07/15更新

梵鐘は寺院で法要の合図や時報として打ち鳴らされる梵音具(ぼんおんぐ)。本品は鎌倉時代の初め、東大寺の復興の中心を担った重源(ちょうげん)が笠置寺(かさぎでら)に施入したもの。口縁部に複数の切り込みを入れる特徴的な形は、中国の梵鐘に倣ったものか。

聖地 南山城 | 奈良国立博物館 (narahaku.go.jp)

---↑2023/07/15更新

▽春日明神社・椿本護王宮

入山料を払うと神仏習合の名残で「春日明神社」と「椿本護王宮」がある。春日神社は、2016年に行われた春日大社の式年造営の摂社「本宮神社」を移築したもの。円成寺にも鎌倉時代の春日大社の社が残っており国宝である!いずれここも国宝になるかも!!

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▽大師堂

大師堂があり、なかなかの良い雰囲気だが、山にあるので、本堂は京都・清水寺、奈良・長谷寺、神奈川・長谷寺、奈良・談山神社などと同じく「懸造」になっている。ここは懸造の真下を通ることができるのが面白い。

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▽本堂:正月堂

 東大寺の二月堂で行われるお水取りの起源といわれる「正月堂」がある。東大寺に、二月堂、三月堂、四月堂はあるけど、一月堂ってないのはここにあるからなんです!!また、正月堂は崖に立っているので、清水寺と同じ懸造である。

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▽本堂横:弥勒磨崖仏

磨崖仏の巨大な「弥勒仏」を本尊とする寺で、平安時代以降に弥勒信仰の聖地として栄えた。
あの清少納言も好きな寺の3つに挙げた有名寺である。前には右から「弥勒」「文殊」「薬師」と呼ばれる三つの巨石が並んでいます。「天人」作といわれ664年の作と伝えられている。

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▽千手窟

 東大寺「お水取り」の起源とされる。
 昔、木津川を使って木材等の材料を上流の山々から流し運んでいたが、笠置周辺で資材がせき止められてしまい、何日も工事が滞ってた。
 それを知った東大寺の僧・実忠は、千手窟にて雨乞いをし、龍穴から竜王が現れ、木津川に恵みの雨を降らせたおかげで水量が増し、その後はスムーズに資材を奈良の都まで運ぶことができたとさ。そして東大寺ができあがったそうです。

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なるほど~この話から繋がりと、ここに一月堂なんだとそれなりに納得した(事実かはわからないですけど)。

▽伝虚空蔵磨崖仏

12mの岩肌に刻まれた9mの仏で、日本で最大最古の線形磨崖仏。その作成年代は、弥勒磨崖仏と同時期か平安時代とされている。周囲に建造物がなかったため、元弘の戦乱の炎からも守られたのだが、近すぎて写真が撮りにくい。そして、こんな触れるようになっていていいんかいな・・。

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どこにあるのか?とあたりを見合わす。真横を見るとかなり近くに以下の写真が目に飛び込む!近い!でかい!!全部カメラに収まらない・・。

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▽磐座・岩倉

虚空藏菩薩磨崖仏の奥に行くと「胎内巡り」があります。奥の方が狭いんですよね。案の定、服を壁に擦りました。昔は通れたんだけどな~・・・たぶん。
さてさて、修行場の入口とされる。通常は、滝で身を清めるが、笠置山には滝がないため、ここの岩をくぐり抜けることにより身を清めたことにしたらしい。

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おっと、淡路島にもこの手の磐座が多いですよね。地質上、盛り上がって来たタイプらしいのですが、科学が未発達のころは神がかりだったんでしょうね。

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▽毘沙門堂

入山後に左側がメイン参道で、戻ったときに右側に進むと、江戸時代に出来た稲荷社があり、その右側に毘沙門堂が存在した。実は、本来の「正月堂」の位置はここだったらしい。因みにこの毘沙門堂は今の笠置駅あたりにあったらしい。

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2023/07/15 『南山城展』
 東大寺に一月堂はない。一月堂はこの寺である!ということで古刹です。笠置寺といえば摩崖仏で有名だが、元々の本尊はこの「誕生釈迦仏立像」なんだそうな。この誕生仏を見るとやはり古寺なんだと思った。次に「毘沙門天立像」だが、こちらは鎌倉時代の慶派の影響を受けた天である。浄瑠璃寺の本堂にある四天王@国宝相当の出来で、たぶん、通常時に寺では見せていないと思う。
 ちなみに前述の現光寺の四天王である多聞天と似ていることから仏師は同じか、同じ工房と言われているようだ。

私のNOTE「2023年 南山城展」より
https://note.com/yanma_travel/n/nb64d84d5f412

▽文化財収蔵庫

東大寺より譲り受けた平安時代の「十一面観音像立像」が安置されている。もともとは、正月堂に安置されていたようですが、後に収蔵庫に移された模様。
その他に、笠置寺の由緒絵巻があり、どうやら東大寺との繋がりは本当のようだ。と思い、綺麗な風景を見下ろし、あの狭い道を下るのか・・と思うのであった。

紅葉の時は綺麗なんでしょうけど・・行き帰りが大変だな~と思うのであった。。

▼オマケ


▼セットで行くところ

木津川市を攻めるのがよいかと思います。

▼旅行記

↓3日目参照


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