![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/37850945/rectangle_large_type_2_51980ad85bf0d0e128d08b6ceb9d2dd1.jpg?width=1200)
良い文章とは
答えが無さそうなこの問いに、なぜかふと「これやん」と思える答えが出た。
読み終えて あー、いい文章だったな と思える文章 と
書き終えて あ、なんかよく書けたな と思えた文章 の共通点に気づいた。
「感情と言葉がぴったり一致している」ことだ、って。
分かりにくい文章や何が言いたいのか伝わってこない文章は
著者がどう思って何を言いたくて書いたのか、感情が言葉のずっと奥にあるようで。
言葉そのものの意味は分かっても、中身の感情が分からないと、読み手はその文章からは何も得られない。
感動したり、新たな気づきが生まれる文章というのは、著者に起こった感情が、自分の中に入って、自分の感情として動くほど、感情と言葉がぴったりくっついているように感じる。言葉そのものの意味を捉えることで、同じ感情になることができてこそ、のことだと思う。
自分が「よく書けたな」と思う文章は、書いたものを自分で読んで「そうそう、これが言いたかった」と思うほど、自分の感じたものを、もう一度感じられるような文章だ。
なんか良いこと気づいたな、って思った少しあと、「いや、ていうか、これって当たり前のことか」と思い直した。
言葉が存在するのは感情を伝えるためで、言葉がなくても分かり合えるのであれば言葉はいらない。既存の言葉では伝えきれないから言葉は増え続けるし、一緒に過ごしてきた間柄だけで伝わる言葉の使い方が生まれたりするのは、同じ感情を共有してきたからだ。
文章というのは、その”言葉”をじっくり選んで並べられて、かつ、選び替えられるし並び替えられて、さらに読む側は、何度も読むことができる。
だからこそ忠実に感情を表現できることを知っているから、感情と言葉がぴったり一致している文章を読むと 良かった と思うし、そういう文章が書けると よく書けた と思うのは当たり前なことだ。
そう考えると、いつまで経っても書き上がらない文章は、知らず知らずのうちに感情が変わってしまっていて、それにぴったり追いつこうと、言葉を紡ぎ続けているからなのかもしれない。
知らんけど。