やね氏
仕事を辞めた。好きな人と付き合うことも辞めた。私が今しなくちゃいけないことは、10月から入社する会社へ書類を提出するために健康診断を受けること、ほんとそれくらいで、毎日好きな時間に起きて、好きなことだけして、好きなものを食べて、好きな時間に寝ている。今までの人生24年間の中で一番自由だと思う。でも、一番寂しさを感じている気もする。 振り返れば、これまでの人生、恋愛と仕事が私にとってのメインコンテンツだった。常に好きな人がいて、いろんな人とお付き合いをして、いろんな恋愛をした
幸せが増えると、人間としての面白さとタバコの本数が減る
「やっほー」子どもが街中で叫んでた。こだましてた。山じゃなくてもできるのね、それ。子ども好きじゃないから、あんまり子どものやることにやたらと可愛いなぁとか思うことないけど、心の底から笑みが溢れた。おかげでうまいタバコが吸えました。ありがとう
ずっと続く小さく熱く重たい寂しさが私に創造力をくれている、これがなくなったらカッコ悪くなる気がするから、ずっとこんな感じで気持ちを宥めながら大事に抱えて生きていくのだろう、君に会ったら心が震えて爆発してしまいそうで怖いし、私を私のものにしておくのにはこれしかなかったから。
B'zの「衝動」は希望に満ち溢れていて疾走感のあるメロディとともに明るい未来に走っていくような曲なんだけど サビの"僕にも誰かを愛せると" は 僕には誰も愛せない、と絶望したことがないと出ない一文。暗く静かながら熱い人生をROCKにカッコよく歌い上げる、だから好きなんだ。
なんだか、自分が「良いの撮れた!」と思っても、SNSでいいねがつかないと「あれ?」とその写真自体の価値を疑ってしまったり。 フォロワーが減ると、「なんでだろう?こういう系統は載せない方がいいのかも」などと考えてしまったり。 1年半前くらいから月に数件カメラマンとしてのお仕事をいただけるようになって、嬉しさと、もやもやが日々あって、この道から離れるか、もっと本気になるべきか、不安と怖さと期待とが入り混じって、どうにもならないまま、ポツポツといただくお仕事は一生懸命にやりながら
結果論かもしれないけど、悩まされることのない恋愛の末の結婚でよかった。
あーもー、あー。ってなって、あ。ってなって一服しに行って、スマホも持たずにベランダで知らない他人が走らせた車のタイヤがコンクリート滑る音を聞いてるんだか聞いてないんだかの微妙な意識でぼーっとして、リラックスできた瞬間我に帰って火を消して、さみさみ!ってそそくさ部屋に帰るこれ、好き
大好きが過ぎた結果としてするもんだと思ってた。結婚って。 この人のこと一生大好きだから、みたいな感じで。 何があっても一緒にいることを選ぼう、的な、そういう覚悟なのかなって。 なんだかんだ、この人と結婚するんだろうなって思ってた人とは別の人と 来月私は結婚する。 もう振り返る機会も最後だろうと思って自分のnote遡って読んで。 自分の話ながらほんと良い恋愛したな、と思う。 2番目に好きな人と結婚した方がいい、という言葉をよく聞くけど、ちょっと分かる。 自分が相手を好きな
半年くらい前、誰に話しても消えないモヤモヤを持って久々に会って話したら、たった数時間で晴れにしてくれやがったあと「今まで俺がやね氏ちゃん見ててそれがやね氏ちゃんのためになったなら良かった」と言っておしぼりを永遠にたたみ直しながら「大事だからだよ」と言ってくれて、勝てないと思った。
大事なことは言葉にしない人。あの小さな部屋で私の腕の中に潜っていたときは、こどもみたいで儚く感じた。些細なことにも気を遣って考えてくれていることは、少ない言葉の節々から伝わってた。でも小さなボタンのかけ違えで嫌になってふたり隣で生きる道を諦めて2年、私は来月別の人と結婚する。
私には恋愛しかないのか? 心の底から感情が湧いてくることって、恋愛以外にあっただろうか。 自分の過去のnoteを読み返してみて、心底そう思った。 わぁ自分だな、納得感あること書いてるな、って自分でいいなと思う文章は全部「大好きだった人」「大好きな人」そういう恋愛感情がベースになっていたから、なんかめっちゃ情熱的に恋愛してて、ちょっと恥ずかしくなった。 と同時に、なんかいいなと思った。 好きな人がいて、好かれたくて、必死こいて、努力を努力とも思わずできちゃって、それでも好
目覚ましの音ともに絶望する朝が苦手な26歳。 恋愛を人生のモチベーションにして生きてきた、万年メンヘラ卒業"見込み"の女。 好きな人に好かれるためにする努力は息をするようにできてしまうが故に趣味やできることが増えここまで生きてきた。 恥ずかしいけど、下心が一番のガソリンになる、それが私。 イキり癖があって常にイキってるから、等身大の自分とは時間をかけて向き合わないと見えてこないもので、自分を知るため・自分に言い聞かせるためだけにnoteを書いてきた。だからこそ、見返すと
親指ひとつで私のことを幸せにできてしまうあの人
これまで何度、ひとりぼっちで文章を、noteを書いてきただろう。 私は昔から、思いのたけを綴ることでようやく自分の本音にたどり着くような、厄介な、不器用な、かっこつけな女だった。 恥ずかしい思いも、苦しい思いも、悔しい思いもしながら、振り返れば結局は恋仲が私の人生を彩ってくれていた人生で、それによって少しずつ成長して生きてきたけれど、今の彼氏と2022年の2月に交際を始め同年7月に同棲をはじめて以来、私は文章を書かなく…書けなく、なった。 過去に記事に「幸せなときに綴る文
人生ゲーム