ボクシングと経営と地域ボランティアを通じて知った、運の作り方
私はボクシングジムと、NPO法人、そして株式会社を運営しているので、成功する人の手法を多角的に見てきた。
ボクシングでも、あとちょっとで世界を獲れたのに、とか、あと少しの運がなかった、という言葉を散々聞いてきた。
結論から言うと、負けたのは運ではない。
人間というのは思考を変えると行動が変わる。
行動が変わると、環境や付き合う人が変わる。
そこに至るのは正しい信念を持ち、正しい事を継続していれば、志の同じ仲間が自然と集まり、環境や周りが変わるからそうなる。
こうして命を運ぶ事となる。
それが運命である。
運の良い人。
過去の経験で言うと、人の諫言を聞く素直な人。
そこで反省する人。
こう言う人が、運も良くなり伸びる様思う。
しかし、ブラック企業に勤務し、その社長から「社員には死ぬ程残業をさせろ」と言われたとする。
ここで「はい、分かりました」と答える事は、素直とは言わない。
だから、何が正で何が悪かを判断する能力を持つ為に、青少年教育が必要だと常に言うのだが、今回それはさておき。
上記の例で、悪い事は悪いと言うと、ブラック企業では馘を切られるが、正しい人からいつか必ず評価される。
若い時「神様は見てるんだよ」と言われても、私は信じなかった。
「神様?どこにいるんだい?」。
若い人がそう思うのは当然だと思う。
キャリアがないので自我が出る。
神様と喧嘩しても、魂を売ってでも目標を達成してやる!
私もそんな思いで、裸一貫から26歳で、数千万円のお金をスポンサーも借金もせず、動かせるようになった。
しかし強引すぎたから、ここでバチが当たる。
見たこともない、1600万のお金の保証人にされていた。
私の第一のターニングポイントは、ここだと言える。
このお金はある先輩から、借金をするから電話で貸主から「柳原、お前が◯◯の保証人で間違いないか?」。そう言われるから「はい、と口裏だけ合わせてくれ」と言われた。
結局「保証人はお前がなるのか?」と言う問いに「はい」と答えた事から端を発する。
結局私はこの、はいと言った嘘が致命傷となる。
最初「これは二人で仕組んだな」と思い、払わなかった。
現に◯◯は「そのお金は返した。それは俺の別口の借金だから、お前、騙されるなよ」。と言う
貸主にも「そのお金は◯◯が返したて言ってますよ!」。
そう突っ張り払わなかった。
所が数ヶ月後のある日、真実が分かった。
詳細は省くがこのお金は、借用書はない。
しかし、やはり私が「保証人になる」と口裏を合わせた日付のお金だという事が、私の手帳等から分かった。
私がそれを言わねばバレないし、払わなくて良いお金でもある。
裁判になっても証拠がなく、勝てる事案である。
しかし私は貸主のところに行き、謝罪し自ら認めた。
昔からそうなのだが、私は損をする事でも、筋を間違えた行為は自分の美学に反する、という思考がある。
それから完済まで、約4年かかった。
このお金を全て払い終えたのが、平成10年3月。
それから2ヶ月が経ち、貸主が亡くなった事から、この話が貸主の身内から漏れ、噂が街中に広がった。
これが後に「柳原は偉い」と言われ、親のコネも金も何にも無かった私の信用となる。
ボクシングや経営者として、そして経営コンサルタントとして、色んな人を観察する。
運の良い人というのは、当たり前な事を誰かの為に、誰に言うこともなく継続している人に回ってくる。
幸せだと言いながら、そんなに儲けがなくても人の為に汗水垂らし働く人は、不思議な事に皆、総じて運が良い。
若い時はがむしゃらだから気づかないが、年を重ね経験を積むと、正しい行為かどうかと、考えた上で事を行う。
そうなるまでの道のりは長いが、自分の信念を曲げずに生きていれば、必ず多くの運は回ってくる。
最近若い人を見て、この子は運が来るだろうな、というのが何となくだが見えるようになった。
ボクシングで言うと、当ジムの濱村悠太郎がこれに近い。
小6でYANAGIHARAジムに入会し、彼は己の信じる荊の道を一途に、そして一歩一歩、歩んできた。
彼はまだ21歳。
これからも色々な運が来ると思う。
勿論試練も。
だから私は「力」を持ち続けねばならぬ、と思う。
「力」とは即ち、徳を積み、功を得る事により持つ物だと考える。
正直で素直で正しい経過を経る、若い者には、助け船を出してあげたい。その為の力である。
世の中というのは、とどのつまり同じ人種が集まる。
空を見ると鳥が飛び、海を覗くと魚が泳ぎ、悪党を見ると悪人が群がっている。
手前味噌を覚悟で言うが、私も運が良いと思う。
良い若手選手がいて、良い先輩がいて、良い友達がいる。
しかし、だからと言って、調子に乗ってはならんと思う。
特別な何かをするわけでなく、今まで通り正直に生きて行く。
運の良い人というのは意外と、当たり前の事を継続する事が出来、それを他人の為に、と思う者に来る様に思う。
後は神様が、勝手に引き上げてくれるのではないだろうか。
少なくとも悪党に運が回る事はない。
悪運が強い、というのは死刑執行の時間が早いか遅いか、だ。
悪運を運が良いと言わないのは、つまりそう言う事だと思う。