ボクシングがあったからこそ儒学を学び、教育をする。著書出版迄を顧みて、ボクシングに感謝する1日とその理由。
12月11日(日)。
伴1人を引き連れて、大阪は難波のエディオンアリーナで行われた、ボクシング興行へ行った。
さて12月8日に、処女作をAmazonから出版。
出版協力をして頂いた甲斐柱さんと、出版一週間前から、打ち合わせをし、売り上げの推移予測、他、色々な事を想定し話し合った。
結論を言うと出版初日。
つまり12月8日。
いきなり6冠を獲り、6部門1位、ベストセラー2部門獲得。
惜しむらくは教育学という、デットヒートが繰り広げられる分野で、5位に留まった事だった。
そんな事を行う毎日を送り、いつもの事だがいきなり「大阪にボクシングの試合を観に行く」と言うこの性格は、変動する教育学ランキングに反し、変わっていなかった。
興行主、つまりプロモーターが招待券を用意しておくと仰ってくれたので、つい甘えていくとマサカの最前列。
YANAGIHARAジム顧問、島田トレーナーがアドバイザーとして指導する、大阪の名門、グリーンツダボクシングジムの興行。
赤井英和さんがこのジム最初のスターで、今は会長、トレーナーも刷新、代替わりした。
赤コーナーは、グリーンツダの選手がずらりと並ぶという、豪華興行。
こんな席を提供されて恐縮だが、私は青コーナーの真ん前、最前列の席だった。
つまり、赤コーナー側のジムからタダで招待席を頂き、青コーナーには「毎月定例西部地区合同スパーリング」を、当ジムで行う時、集まる選手が出場する、という位置であった。
どうかこの時の私の心境を、斟酌してほしい。
しかも、マサカの第一試合。
いきなり西部地区、上野会長率いる、宇部ボクシングジムの選手が入場。
1ラウンド後半、つい力が入り、我慢出来ずに我がジムの選手のように大声で声援を飛ばす。
我慢、という常識、マナーはやはり私にはなかった。
2ラウンド目は、さらにヒートアップ。
最早「毒を食うなら皿までも」となる。
そして宇部ボクシングジムが、判定で勝つという快挙が起きた。
ふと我に返り、その後は大人しく席で観た。
さて話は戻る。
上記は、この興行の試合前の控え室でのワンショット。
北九州の人からは、関西人ですかと言われ、関西の人からはアメリカ人ですかと言われ、メキシコ人からは、キミはそう病か?と言われる私。
兎に角、知らない土地に来ても、前日、充分睡眠を摂った時の私は我ながら怖い。
「おーーい、俺。今、青コーナーの控え室。え?2部目の興行だから1部の控室に入れない?俺がいいと言ったらいいよ、法律だから。じゃ、すぐに」。
そう言い、博多から来ているYUKOジムの北島マネージャーを呼ぶ。
また、関西でプロボクサーをやってたという、九州人トレーナーを紹介され、まるで10年来の友人のように話す。
お客様入場口で上を見ると、2階に九州の関係者を発見。
大声で名前を呼び、話しかけると、何故か赤ら顔になる知人。
きっと恥ずかしがり屋だろうと思い、タバコを吸いに外に出た。
「会長!」と怖い顔をした人が此方へ来る。
よく見ると、グリーンツダジムの大昔からのボスである、石原先生だった。
歯医者の先生である。
「あ、これはこれは石原先生!」。
丁重に、ご挨拶をして会場に戻り、席に座ると背後から殺気が。
とうとうやられるのか、と思いきや電話で度々話す、岸和田市で勝輝ジムを運営する敏腕、大川マネージャー。
と、数え上げればキリがないほど知り合いだらけで、丸でお祭りのようであった。
こうして小倉へ帰路に帰る途中、一句を詠んだ。
「それでも大阪は丸い」。
さて、ソクラテスも笑わぬ面白くもない一句をスルーして、サクサクと話を進める。
この1ヶ月。下記の著書を急ピッチで仕上げていて、又もや自分の本職が分からん、と言う状況が続いた。
その間、酒も呑まぬのに、クラブで水を飲み発散したり、ジムで初心者のプロ志望を指導したり、借地借家法の新判例を読み、裁判所に行くと言う毎日だった。
にもかかわらず、脱稿の目処がつき、試合を観に行くと決めたのは出版予定一週間前だったと記憶する。
会場に行き控室に入った。
すると九州、山口、関西の知人、友人から歓迎され、久しぶりに私はボクシング屋なのだ、と思い出した。
いきなり押しかけた控え室では、田川市や久留米市、博多区のボクシングジム会長、マネージャー、トレーナーが来ており、和気藹々と話しつつ、私は嬉しさの余りジャイアンのように振る舞った。
そして思った。やはりボクシングはいい。
ボクシングがあるから、教育を勉強した。
教育を勉強したから、儒学に出会えた。
それが楽しかったから広めたく、本を出した。
私は北九州をまず再生したい。
しかし同時に、自分はボクシング界で生かされている事を、忘れてはならん。
北九州にもボクシング界にも、恩返しをせねばならん。
そう考えた時、陰で支えてくれる全国にいる方の顔が、何故かふと浮かんだ。
YANAGIHARAジムを応援してくれる方は勿論、下記の方々の顔、である。
ずっと激励してくれる、香川県の国立大学教授、福岡市のドクター、函館の海産物商社の社長、苫小牧でいつもこのnoteを読んでくれる元、苫小牧区役所課長。
中国の深圳に会社を出した、山口県の後輩。
この方達はボクシング屋ではないが、ボクシングファンの鏡とも言える友人、先輩、後輩であり、皆付き合い出して20年以上になる。
この方達のボクシングファンとしての支えがあればこそ、選手を育てる時も苦にならず、頑張れたと思う。
SNSを通じ、ご縁を頂いた多くの方もいる。
誰一人として、悪い人は居なかった。
1冊の本、一つのジムを出すには、ここで到底書ききれぬ、他の多くの方の力のお陰と言っていい。
そして、全員に共通して言える事がある。
彼ら、彼女らとは、ボクシングだけで繋がり、金銭の関わりが一切ないのに、いつも変わらずエールをくれた。
時に叱咤激励され、時にチケットを買って頂き、時にビデオを送って頂き、変わらず支えられ甘えてきた。
今、当ジムには元トップアマを含めた多くのプロ選手、期待できる多くのプロ予備軍がいる。
そして来年4月には、12回目のYANAGIHARAジム興行を行う。
あまりにも物事がうまく進んで、正直恐ろしい気がしていた。
しかしここで書いた方、また書ききれない沢山の方。
同業者の会長の存在があればこそ、どんな時もボクシングが出来た。
私はこれを、一生忘れてはならん、と思う。
こうして振り返れば、人間1人でやれることなんか、大してない。
同志、そして私の我儘を、今までずっと支えてくれた従業員に深く感謝し、これからも世の為、ボクシング界の為、ボクシングファンの為に私は続編を書いていこうと思う。
皆様、この度は御購入頂き、本当にありがとうございました。
永遠に発売中ですので、読んで何かを感じて頂ければ幸いです。
これからも初志貫徹、ビジネスもボクシングも地元再生も教育も、一切の妥協をせず、邁進して参ります。
男が一度口に出した事は、為すのが当たり前だ。
偉そうにしてはいけない。当たり前の事をやるだけだ。