「黄金のバンタム」を破った男(著者:百田尚樹)
著作者名:百田尚樹 発行所:株式会社PHP研究所 2012年11月29日発行
「黄金のバンタム」とは、エデル・ジョフレ個人に与えられた称号である。ジョフレは、ブラジルが産んだ史上最強のチャンピオンで、不世出のボクサーと呼ばれていた。
このジョフレを破った男とは、ファイティング原田である。
昭和30年代の半ば、日本のフライ級に、歴史に残る三人の天才ボクサーが生まれた。原田政彦、青木勝利(かつとし)、海老原博幸である。
飽くなき前進で打ちまくる「ラッシュの原田」、フライ級とは思えない重量級パンチで相手を沈める「メガトン・パンチの青木」、きびきびとした動きでタイミングのいい鋭い左ストレートの「カミソリの海老原」。
三人の中で、最も才能があるといわれたのが、「黄金のサウスポー」とも呼ばれた青木だった。若い頃の青木のKO率は7割と驚異的である。
原田は言っている。『「三人の中では、青木が一番才能があったでしょう」「自分が一番下手だった。だからこそ一番練習した」』
青木には大きな欠点があった。それは天才にありがちな練習嫌いだった。
原田と青木は世界バンタム級の挑戦権を懸けて戦う。原田は言う。『「青木にだけは絶対に負けるわけにはいかない」「俺が青木に負けたら、努力するということが意味を失う。一生懸命に練習しているボクサーが、ろくに練習しないボクサーに負けるなんてことがあったら、おかしいじゃないですか」「俺が(練習しない)青木に負けるようなことがあったら、すべての努力しているボクサーに申し訳が立たない。努力はかならず報われる。練習は裏切らない。そのことを証明するためにも、何が何でも勝ちたかった。」』
原田は三ラウンドで青木をKOする。
「間違いなく世界チャンピオンになれる器」といわれた天才青木は、25歳という若さで引退する。
引退後の青木は酒に溺れ、生活は荒れ、三十歳の時には、包丁で自殺未遂まで起こしている。その後も警察沙汰になる事件を何度も起こした。
青木を倒した原田は、いよいよ「黄金のバンタム」と呼ばれるエデル・ジョフレに挑戦する。
注:『』は引用文