源氏物語ー深い森のように尽きぬ読み処
(2)稀に見る危険なストーリーが書けた理由
源氏物語の本編を貫く背骨とも言うべき筋は、天皇の子である光源氏が父帝の后である藤壺と密通し、それによって生まれた子が天皇になり、その後ろ盾を得て源氏が権力の頂点に昇りつめたことだと思います。
考えてみればこれは、フィクションとはいえ皇統の権威を揺るがしかねない危険なストーリーです。現に谷崎潤一郎は、最初の現代語訳を軍国主義の強まる昭和十年代に発表したときに、これらのできごとを自主的にカットして源氏物語を訳しました。ではなぜ、千年前に作者の紫式部はこれほど大胆不敵な物語を創作できたのでしょうか。さらに、これほど ”危険” な文学作品が、当時の皇室や貴族たちによって問題視された形跡がないのはどうしてなのでしょうか。源氏物語最大の謎とも言えるこの点について、紫式部日記などに作者本人の言及はありません。
謎を解くカギの一つは、源氏物語よりおよそ1世紀ほど前に書かれた『伊勢物語』です。伊勢物語の主人公は皇族出身で歌人としても名高い在原業平とされます。業平の様々な恋愛をテーマに和歌を軸にした歌物語ですが、その中に、後に清和天皇の后になる二条后(にじょうのきさき)や、斎宮(伊勢神宮に奉仕する皇室出身の未婚女性)を相手とするいわば禁断の恋物語があります。
源氏物語の主人公である光源氏は、伊勢物語の二条后とは違ってすでに天皇(桐壺帝)の后になっていた藤壺の宮と情を通じ、二人の間にできた子が冷泉帝として即位します。さらには冷泉帝がこの秘密を十四歳のときに知ってしまい、そのことも追い風になって源氏は上皇に準じる准太上天皇の位まで昇りつめました。
紫式部は、伊勢物語からヒントを得てさらに数倍過激なストーリーを構想したのではないでしょうか。しかも、物語で登場人物が生涯隠し続ける最大級の秘密を読者と共有することで、読者を惹きつけようとしたのではないかと思います。
紫式部は三十歳前後のときに、藤原道長の娘で一条天皇の中宮になった彰子(しょうし)の女房として宮中に出仕しました。これは、紫式部の文才に着目した道長が、一条天皇の関心を彰子の後宮に惹きつけて、二人の間に皇子を誕生させることによって自分の権力を揺るぎないものにするために、式部を起用したと見る説が有力です。そして紫式部日記の記述からは、実際に一条天皇が源氏物語を熱心に読んだことが窺えます。
后との密通という危険この上ない内容を、一条天皇が抵抗なく読んだと推測されるのはなぜなのか。その理由を解き明かした研究論文があります。
九州大学名誉教授の今西祐一郎氏による『物語と歴史の間ー不義の子冷泉帝のことー』で、岩波文庫の源氏物語(全九巻)の第三巻の解説として収録されています。その骨子を意訳すると次のとおりです。
● 平安前期の9世紀後半に即位した陽成天皇が、在原業平と二条后の密通に
よる子だという「風説」があったことが室町時代の源氏物語の注釈書に記されている。
● この風説は源氏物語が書かれた時代にも知られていた可能性があり、作者
はそれを意識して源氏と藤壺の不義を構想したのではないか。読者の多くもこの風説になぞらえて源氏物語を読んだのではないか。
● 陽成天皇の属した皇統は陽成天皇で途絶え、その後はそれまでとは異なる
新たな皇統から天皇の即位が続いた。一条天皇も陽成天皇とは別の皇統の出身であるため、風説に対する抵抗感がなかったと考えられる。
論文の最後に今西氏は次のように結論づけています。
【『源氏物語』中最大のストーリーはそういう風説に拠って書かれた。そし
てその『源氏物語』が宮廷で好評裡に迎えられたのは、時の宮廷が、その
風説によっては毫(ごう)も傷つくことのない宮廷、すなわち陽成天皇を
否定することによって誕生した光孝ー宇多ー醍醐の新皇統に連なる宮廷だ
ったからである。】
紫式部日記の記述から、源氏物語は西暦1008年には本編のある程度の部分が既にできあがって貴族社会で読まれていたことが明らかです。まさにその年に、中宮彰子は一条天皇の皇子(のちの後一条天皇)を出産しました。つまり、一条天皇を彰子のもとに惹きつけたい、という道長の狙いは的中したと考えてよいと思います。
源氏物語はほかにも伊勢物語の影響を様々な形で受けています。たとえば源氏が生涯の伴侶となる紫の上を十歳の少女のときに発見する場面は、伊勢物語の初段で男が奈良の春日野で通りがかりに美しい姉妹を垣間見た話をヒントにしたと考えられています。
源氏が山の中で発見した少女に魅せられたのは、少女が永遠の想い人である藤壺の姪で、その面影があったためでした。源氏はこの少女=紫の上を邸に引き取り、それから彼女が先に世を去るまでの33年間、最愛の伴侶として愛します。しかし2人の後半生は、源氏が皇女の女三の宮を正妻として受け入れたことから暗転しました。源氏の愛を得て幸せな女性だった紫の上が苦悩を深め、希望を失っていく経過を作者は容赦なく描いています。これについては次回のコラムで取り上げます。
伊勢物語の影響として最後に紹介したいのは、源氏の死後、物語の続編である宇治十帖「総角(あげまき)」の帖に記されたできごとです。
源氏の孫でときの帝の子である25歳の匂宮(におうみや)が、実の姉の女一の宮に対し、伊勢物語(第四十九段)を踏まえたたわむれの言葉をかける場面です。
伊勢物語のこの段では、男が美しい妹を見て「寝心地のよい若草のようなあなたを、将来どこかの男が自分のものにするのが残念だ」という意味の和歌を詠み掛け、それを聞いた妹が困惑して「お兄さんがそんな変な気持ちで自分を見ているとは」という意味の歌を返します。
源氏物語では、匂宮が姉の女一の宮の部屋を訪ねたところ、伊勢物語四十九段の場面の絵が置いてあったため、几帳を隔てて姉に対し「一緒に寝ようとは思わないけれど、美しい姉君を見ると悩ましい気持ちです」という意味の和歌を詠み掛けました。女一の宮は伊勢物語の姫君とは違って返事もしなかったと書かれています。
この挿話を読んだとき私は、源氏物語の本編主人公の光源氏と比べると、匂宮の言動がずいぶん卑小に描かれているという印象を受けました。
宇治十帖での男性の登場人物の描き方は、ここだけでなく本編とはかなり様変わりし、愚かしさや女性差別の意識が強調されていると感じます。源氏物語の最後まで作者は紫式部だという立場に立てば、こうした傾向は作者の執筆姿勢、もっと言えば人生観の変化を表すものかもしれません。
このことについては次々回に私の考えを記したいと思います。
(源氏物語の読み処についてのこのコラムは、来年春ごろまで月2回程度
掲載します。次回は10月31日にアップする予定です。
これらの内容も含め、源氏物語の幅広い楽しみ方を記した著書『源氏物語 —―生涯たのしむための十二章』(論創社)を11月に刊行予定です。
お読みくだされば幸いです。)