若い頃大好きだった『ノルウェイの森』をおばちゃんになって再読して気づいたこと
こんにちわ!やんです。
今回はですね、私がフォローしているめぐみさんがノルウェイの森を再読されていまして、その感想文をnoteに書かれていたのです。
それを読んだら私も再読したくなりまして、家に置いてある単行本を引っ張りだしてきて読み返してみました。
そうすると、今まで私は何を見ていたのか?お前はなにもわかっていなかったんじゃないか?という示唆みたいなものを感じたので、それを書いてみますね。
■私とノルウェイの森
私とノルウェイの森との付き合いについて語らせてください。
私は20代のころ村上春樹が大好きで、留学しているときノルウェイの森を留学先のオーストラリアまで持っていきました。
日本からはるばる持って行くって、すごい好きってことです。
留学というと華々しいようにも見えますが、実際は孤独がつきまとうものです。
留学してすぐ愕然とするのですが、まず、英語がわからない。とにかくわからない。何を言っているかわからない。
これにつきます。
日本語ならすぐ答えられることなのに、英語だとさっぱり話せない。話せない、伝えられないということは、能力が下に見られます。
英語の能力が低いだけなのですが、全体的能力が低く見られてしまうのです。
加えて友達ができたとしても、短期留学の子はすぐ帰ってしまうので、交流は長く続かないし、ローカルのオーストラリア人と交流を持とうとしても、私が留学した先は田舎だったため、既に密接な交友関係ができあがっているため、英語がたどたどしい外国人が入る余地などありませんでした。
か、悲しい・・・
でも、もし自分がオーストラリア人だとしたら、英語がたどたどしい留学生と仲良くするかな?と考えるとしないような気がします。だって、子どものころから仲の良い友だちはたくさんいるわけで、その子達と遊びたいですもの。
というわけで、留学の毎日は、さっぱりわからない英語での授業、しかしアサイメントやテスト、レポートはたくさんでるので、それを何時間もかけて行い、レポートのリライトをたくさんくらいながらこなし、家と学校の往復の日々となるのです。
周りに親もわかってくれる仲の良い友だちもいない。自分のことを知ってる人がいない。
孤独 of 孤独
もちろん、華々しい留学生もいるんでしょうけど、私はそうじゃなかったお(´;ω;`)
とまあ、そんな生活を送っているとですね、日本から持ってきた数冊の小説と薄い本(同人誌)が心の支えになるのです。活字中毒チックなヲタクなので・・
寂しさの心の支え、その1冊がノルウェイの森でした。
ノルウェイの森のなかで、主人公のワタナベくんが、好きな小説である「グレート・ギャッツビー」をとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣としていたとあるのですが、
留学中同じことしていました!!読むたびに関心していました。中二病っぽい!!ww
で、もうそんな私も大人になりまして、夫も子どももいて、圧倒的な孤独がなくなった今、再読してみたのですが・・・・
■ワタナベくんに感化されすぎて、人生を間違えていたことに気がつく
私は留学中、孤独すぎてノルウェイの森を読むたびに、ワタナベくんに共鳴し、謂わばワタナベくんに感化しすぎていたようです。
まぁ、ワタナベくんは高校の唯一のお友達のキスギくんは自殺しちゃうし、好きな女の子(直子)はメンヘラだし、大学では友達はいないしで、圧倒的に孤独なのですが、それが留学中の自分と重なり過ぎてもうシンパシー半端なかったのです。
ワタナベくんが、緑という女の子に友達もいなくて一人で旅にでて、孤独でも平気なの?と聞かれると、こんな事言うのです。
ワタナベくんが、こんなこと言っちゃうから、私も無理して友達作らなかったんだわ!!
バカバカ!やんさんのバカ!!
ワタナベくんは、友達いないとか言うくせに、年上の人(永沢さん、ハツミさん、レイコさん)には好かれるし、モテまくって女の子とワンナイトスタンディングしまくるわ、緑という女の子に好かれるわでモテモテなんだから、そら友達なぞ必要ないんだよ!!
ワタナベくんは敢えて友達作らないだけで、コミュ障の私はそもそも友達ができなかっただけだった!
やめて!こんなこと気づかせないで(´;ω;`)
大人になって大学で友達を作るって、人脈作りだと気づいたの、最近だよ!!
社会人になってから入り直した大学でも、友達一人もできなかったよ!ワタナベくん、いや、村上春樹先生!責任取ってくれよ!
村上春樹大先生は、小説書いて世界的ベストセラーになっちゃうから、人脈なんて必要ないけどさ、私のような一般市民には必要だったんだよ!!
はあはあ・・・村上春樹の小説せいで交流の仕方を間違えちゃった人って、けっこういる気がするんだけれど、どうだろう?(八つ当たり?)
■ワタナベくん、人のことわかってなさすぎて、おいおい大丈夫か?となるの巻
あまりにワタナベくんに感化されまくっていた私でしたが、ある意味本当に大人になり目を覚ました今、ワタナベくん、人のことあまりわかっていないな・・・と気づいてしまいました。
ワタナベくんは、高校の唯一の友達であるキスギくんが自殺して、その彼女だった直子に恋をするのですが、
ワタナベくん、やめとけ!
小説はワタナベくんの一人称で語られているので、ワタナベくんの感じたこと、思いが溢れているわけで、そこで直子の描写がかわいらしくて、守ってあげたくて、儚い感じであ神格化されてるけれど、
今の私からみると、直子はめんどくさい女の子なのです。まぁ、メンヘラだしな・・・。
対して、緑なのですが、緑は奔放でちょっと変わった子という感じで書かれているのですが、
緑は、とてもまともで普通の優しい女の子なのです。
私はワタナベくんに感化されすぎてたので、それに気が付かなかった・・・緑の方が変な子だなぁと思っていたんですよ。実際は直子の方が変なんですよね。
直子はメンタルがどんどん悪くなっていき、キスギくんと同じ自殺の道に引き釣りこまれそうになるのをワタナベくんを使ってなんとか現実の世界に引き戻そうとがんばります。
ワタナベくんは、ワタナベくんで男性特有の楽観的思考で、直子は治るものだと信じています。
そんなワタナベくんも直子の世界に引き釣りこまれそうになります。それを救ってくれて引き戻してくれるのが、普通のまともな女の子、緑なのです。
ワタナベくんは、直子に引き釣りこまれそうになると、緑とのコミュニケーションがおかしくなってしまう。直子とキスギくんの死の世界に足をふみいれているから。現実の緑と話しているようで、話せなくなってしまう。ワタナベくん、ひどいくらい緑の話しを聞いていない。そりゃ緑も怒るって!
それでいて、ワタナベくんは直子のことが本当の意味でよくわかっていない。かわいらしい直子がおかしくなっているのは一瞬で、元に戻ると楽観的に信じている。直子は元からおかしいのに。
でも、直子は自分がとてもおかしいことに気がついていて、これが私であると頑張って伝えているのにワタナベくんにまったく理解されないのでときにイライラして悲しくなり絶望する。
ワタナベくん、両方の女の子のことわかってないのです。鉄板みたいに無神経なんですよ。
やんさん、このことにやっと気がついた。アラフォーになって、現実的になり、やっと多角的に物事を見ることができるようになったから。
実は私も今までワタナベくんと同じくらい、人のこと、緑と直子のこと、なにもわかっていなくて、無神経であったのです。
あんなに何度も読んでいたのに…
ワタナベくんは37歳でボーイング747に乗ってそのことに気づき、やんさんは40歳過ぎてノルウェイの森を再読して気づく・・・
何をみて生きていたんだろうか?
人はみたいようにしか、みれないのかもしれない。
やれやれ
おわり
現実はいつでも辛いんだ。人は見たいものしかみたくない。悲しい現実に向き合ったときに人はやっと成長するってわけで、コーチング受けてみる?(唐突)
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