この感じを文学化できたなら…
どうにもならない気持ち、もどかしさ、もやもや、悔しさ、怒り、哀しみ、いじわるな気持ち、やるせなさ、絶望感、不安感、行き場のない想い、ネガティブだけれど伝えたいことがある。
自分が今思う、このなんとも言えない気持ちや考えや、できごとを、物語や文章や絵でも何でも良いから、伝える才能があれば…と、これまで何度も何度も、もしかしたらずーーーっと思ってきた。
この辛さ、こんなことがあったんだよ、ということを昇華させたいからだと思う。
なぜそれが「文学化できたなら」なのか。
有名な文学作品や名画には、悲劇は沢山存在している。むしろネガティブ要素が主流なのではないかと思うほどだ。そこに普遍的なものや哲学が映し出されているからだろう。
残念ながら、私には有名な作家さんのような才能がないようで、うまく表現する術を教わる機会もなかった。訴えたいこと、伝えたい気持ちや想い、それは声なき声として、自分に向かって発せられるだけだ。
ネガティブな内容を人に読んでもらうのは難しい。ただ想いをぶつけるだけでは、愚痴の羅列に捉えられたり、誤解を招いたり、敬遠されたり、攻撃の的にされる可能性すらある。
しかし、そんな中、優れた文学作品ではネガティブが許されている。そんな気がする。だから、文学的センスがあれば、物語や短歌や散文、随筆で表現できるのに…なんてことを思うのだろう。
うまく言えないけれど、うまく文章で伝えられないことに悩んでいるわけだけれど、なんとなくでも伝わる手段を持ちたいということ。
短歌、詩や散文、随筆、イラスト・・・想いを伝えるものは、いろいろある。これから模索しながら、諦めずに、自分の思う「文学化」に近づける形を探していきたい。
カオスなnoteを続けながら。
<文・見出しイラスト/犬のしっぽヤモリの手>
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<© 2023 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>
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