土井善晴さんが一汁一菜でよいと至るまで

先週末、私が科学技術コミュニケーションを学んでいる 北海道大学 CoSTEP の開講式特別プログラムとして、料理研究家の土井善晴さんの講演がありました(概要はこちら)。

土井さんは、テレビ朝日「おかずのクッキング」やNHK「きょうの料理」などの料理番組に講師として出演されたり、「一汁一菜」という持続可能な家庭料理のスタイルを提案されたりと、幅広く活躍されています。

土井さんが提案されている一汁一菜は、単なる簡素な食事ということではなく、具だくさんの汁物を準備することで、沢山のおかずをつくらなくてもしっかりと栄養を摂れるというスタイルの提案。

一汁一菜でもよいという提案」は、毎日台所に立って食事を準備することを負担に感じていて、「料理が苦手なんです」「作りたいけれど、忙しさのために作る余裕がないんです」と悩んでいるひとに寄り添った、毎食しっかりと料理を作る必要はないのですよという、専門家からの優しいメッセージです。

さて、料理番組で見た土井さんに対する私の印象は、「よく喋る大阪弁のおじさん」。当日の講演も、トークショー形式だったはずだけど、終始、土井さんのターン。なんとなく、笑っていいとも!を番組ジャックした黒柳徹子伝説を思い出したり。

土井さんのトークでは、テレビと同じ軽妙で優しい語り口から、料理について、食文化について、さまざまな興味深いお話を聞くことができました。その中で、私は、次のことが最も印象に残っています。

  • 「料理という文化」と「栄養学という科学」の対立があり、その対立は、家庭料理を担う人々を追い詰めることもある。

  • 料理という文化、そして、家庭料理を担う人々を守ろうとする先に「一汁一菜でよいという提案」がある。

このことについて、もう少し理解を深めたいと思っていたところ、土井さんが最近出版された「一汁一菜でよいと至るまで」が届いたので、さっそく読んでみました。

この本で土井さんは、「料理という文化」と「栄養学という科学」の対立に関連して、次のように述べられています。

私が「一汁一菜でよいと提案する」今も、栄養学的には一汁三菜が奨励されているのは変わりありません。栄養学が科学であるなら、同じ基準でないと成立しないので、西洋で生まれた栄養学を和食に当てはめています。敗戦後は、西洋人に比べて随分劣っていた体力(体格)の向上をめざして、アメリカ式の栄養指導を取り入れ、タンパク質と油脂のエネルギーを中心に考える一汁三菜を基本としたのです。

土井善晴「一汁一菜でよいと至るまで

栄養学を進めれば和食文化が失われるのは当然のことなんです。その実践で大勢が対象になれば、西も東も平等に均一化することになるのもまた当然で、食文化の多様性は後回しになってきます。

土井善晴「一汁一菜でよいと至るまで

食文化は不要なのでしょうか。おいしくて、栄養さえ取れればいいという考えもありますが、食文化とは自然と家族の命を守るものです。それなら、自然とつながる日本型の栄養学があるべきなのです。

土井善晴「一汁一菜でよいと至るまで

「料理という文化」と「栄養学という科学」も、共に、「食べるひとの幸せ」を願っていることは同じはず。土井さんが提案されている「自然とつながる日本型の栄養学」を実現するには、「料理という文化」と「栄養学という科学」のよりよい対話を促す在り方として、科学技術コミュニケーションが大切であるように思いました。

最後に、土井さんのお話で印象深かった「日本料理の師匠(味吉兆の主人である中谷文雄氏)とのやりとり」が本書でも紹介されていたので、引用してみたくなりました。

ご主人にはあまりにもたくさんたずねていたのでしょう、ややこしい時に質問をして「お前の名前はコレナンデスカーや、コレナンデスカーにせーぇ」と言われたこともありました。少々、うるさく思われていたようです。

土井善晴「一汁一菜でよいと至るまで

興味・関心をもった事柄に「なぜ?」と問いつづけて、学び得た知識を自分自身で検証しながら、その真理を深く探究する土井さんだからこそ、「一汁一菜」に辿り着かれたのだと思います。

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山本典史
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