北アルプスとわたし⑵
「山に相対する」
そんなんじゃない。
1番最初の段階では自分自身に相対さなければいけないのに、完全に調子にノっていた。
けれども結果オーライ!
そんな言葉がピッタリな今シーズン1発目の北アルプスは、年越しも差し迫る12月30日だった。
「体力づくりに歩きますかー」とハンドメイドスノーボードの師匠たち(博士と先生)に誘われ、3人で一路栂池へ向かった。
まだ朝の7時過ぎだというのに、第一駐車場は満車。チケットセンターもゴンドラ乗り場も大行列。年末年始くらいこうじゃなきゃ。
大混雑カオスの割に、ゆったりと落ち着いた気持ちで居られるのは、博士と先生の空気感が成せるもので、いつもながらホッとする。
2人は同じ高校の同級生であり、長きに渡る友人関係の中で、商売っ気0の完全に趣味の範疇であるスノーボードの工場を、自宅に作ってしまうほどの仲だ。
多くを語らない2人だけれど、たぶんいくつかの死線を共に越えてきている。
私は大のお笑い芸人フリークであるが、お気に入りの芸人さんは大体同級生コンビだったりする。
そういう“揺るぎない何か“に、強く憧れる傾向があるらしい。
わたしにも中高からの親友がいる。
雪山遭難があれば「あんたじゃないよね?」と鬼のように電話をよこしてくれる2人。彼女たちの子育てがひと段落したら、どう雪山に連れ出そうかと想像を膨らませたことは一度や二度じゃない。
バックカントリーとまではいかないにせよ、いつか彼女らに雪山の景色を見せたいという願いは、夢の一つでもある。
その時はやっぱり立山かな。うーん、樹林帯も捨て難い。
やっとのことで乗り込んだゴンドラを降りると、赤と黄色の目立つウェアを着た2人に声をかけられた。
長野県警山岳遭難救助隊だ。
行き先を尋ねられたので「天狗原方面です。登山届けも出しました」と博士が応えると、「昨日は晴れていたので、今日はどこもカチカチです。充分気をつけてください!」と忠告を受けた。
こちらも今朝までの日射や気温変化、積雪のデータをチェックしてきている。ヤマレコなどで前日の様子も確認した。
どこもカチカチってことは無いのでは?と心の中で思ったけれど、「ありがとうございます!」とお礼を言ってその場を後にした。
救助隊の皆さんの地道な活動に敬礼!
シーズンも始まったばかり。今日は青空も広がっている。浮き足だって暴走する人がいてもおかしくない。
スキー場上部から栂池自然園まではロープウェイが架かっているが、厳冬期は運行していない。
つまり、いつもはロープウェイで楽々登れる標高差630mを、自らの足で稼がなければならない。
逆を言えば、どこもかしこも激混みの中、この時期の栂池からのバックカントリーは人が少ないとも言える。
今日の目的は体力作りなので、そんなことは織り込み済みだった。
はずだった…
栂ノ森ゲレンデの急斜面を、二人の背中を追って登る。
やがて林道に出るのだが、そこから栂池山荘までの序盤の道のりがとにかく辛い。
談笑しながら軽快に歩く2人に遅れながら、美しくピステンがかかる斜度のほとんど無い林道を黙々と進む。
やっとのことで自然園と天狗原の分岐に辿り着き、休憩をしている別パーティの皆さんに無理矢理の笑顔を作って挨拶をする。
すでに腰を下ろしていた博士と先生に「おつかれー」と言った直後、ザックの重さによろめき、背中からバフンと雪面に倒れてしまった。
「もうそんなに疲れたの?」と笑う2人に情けない笑顔で応えながらも、ひっくり返ったクワガタみたいで一向に起き上がれない。寝転がったままザックを下ろし、平気なフリをして水分を補給した。
あれ?今日の私ぜんぜんダメだ…
この時から急に弱気スイッチがONになった。
栂池からのバックカントリーは人生で5回目だが、自然園から船越の頭文字方面と鵯の側しか滑ったことがなく、天狗原から乗鞍岳へ登るのは始めてだった。
だからとても楽しみに来たのに、景色を観察する余裕も無い。
天狗原から続く登山道は、まだ雪が少ないので地形の緩急が激しく、先へ行く2人の背中はすぐに見えなくなった。
ひとりぼっちで登る最中、単独の男性登山者に追いつかれた。少し避けてトレースを譲る。
「ありがとうございます!」と優しく言った彼が、私を心配していることが表情から読み取れた。弱気メーターが弱から中に上がる。
先シーズンはこんなこと無かったのに…
苦しくって上手に歩けない…
あの木まで歩こうと心の中で決めても、数歩進むと限界がくる。
10歩進んで立ち止まる。5歩進んで立ち止まる。く、くるしい…
2人と合流したら「下で待ってるね」って言おう。足手纏いになりたくない。今日は諦めよう。弱気メーターが振り切れるギリギリの状態で、天狗原で待ってくれているであろう2人の元へ何とか登った。
そんな私を気遣って「これめちゃくちゃ美味しいよ!食べな!」と先生がチョコレートを勧めてくれる。
2人の笑顔を見て、くだらないことに笑い、おむすびを食べたら元気が湧いてきた。
もう少し進んだとしても,トレースが残り、視界が開けているこの道なら、1人でも安全に下山出来る。
もうちょっと歩いてみよう。決断はそれからでも遅くはない。
そうして出発しようと立ち上がったけれど、ザックの重さがズシンと背中にのし掛かる。敏感な私の弱気メーターがぐんぐん上がっていく。
もうこれは素直になるしかない。
そう決心した私はとうとう弱音を吐くことに決めた。
「今日は物凄く疲れる。上手に歩けないし。こんなに辛かったっけ?」と、リーダーである博士に伝える。
すると「んー?…あ!そりゃそうだわ。」と言った博士が、肩の上にあるザックの紐をシュッシュと左右とも縮めてくれた。
それによって背中がだいぶ軽くなった。
「すごい!ぜんぜん違う。」と興奮しながら伝えると、「だってそれ、そういう時のためにあるんだよ」と呆れながらも優しい笑顔で教えてくれた。
今回背負ってきたザックは先日購入したばかりの新品で、初めて使うものだった。
昨年まで使っていたザックだと、食を充実させる余裕が無かったため、もう5ℓほど大きいものを新調したのだ。
おまけにコーヒーやお菓子をパンパンに詰めてきている。水も2ℓちょっとある。いくら体力作りだとは言え、今シーズン1発目にしてはヤリ過ぎである。
県警の皆さん、生意気なこと言って(心の中でだけど)ごめんなさい。
完全に浮き足立っている人がここにいます!
私です!私でした!
道具には適切な使い方というものが存在する。
そんな当たり前のことを無視して、よく今までやってこれたな…
自分を褒めたいような、情けないような複雑な気持ちになった。
そう言えば最近までストックの持ち方も破茶滅茶だったらしい。「ずっと握っていなくていいんだよ。紐に手首を掛けておいて、タイミングで握ればいいよ。」と、疲れづらい握り方を友人が伝授してくれたこともあった。
ほんの少しやり方を変えるだけで、雪山歩きが楽になったり行動し易くなったりする。
こういった年上の友人から教えてもらったコツのようなものを、女友達に伝授し、彼女らが笑顔を見せてくれるのが私の喜びにもなっている。
今回のことで、仲間がどういう状態か察するくらいの余裕を持つことも、今後の私の目標となった。
普段は体力勝負の造園業の一人親方である先生は「俺、シーズン初めが1番体力あるわ〜」と先に歩き始め、その背中はだいぶ小さくなっていた。
体力はシーズンが始まって徐々に作っていくという、営業職の博士に「先どうぞ」と手を出したら「遅くていいから先にいきな。」と言われた。
今までヘトヘトの姿を見せたことがなかったので、博士をだいぶ心配させてしまっているようだ。もう、本当に情けない。
だいぶ歩きやすくなって呼吸も落ち着き、どこを滑ったら面白そうかと、真っ白に雪化粧した美しい乗鞍岳を眺めていたら、すぐに直下までたどり着いた。
ちょうどそのタイミングで、クライマーズレフトのクリフを避けて大斜面に滑り込むスキーヤーが2人立て続けに側まで降りてきた。
板も走っている。重めだけどスプレーも上がって、ガリガリなんて音は聞こえない。
雄叫びを上げながら力強く美しい弧を描いた2人が停止したタイミングで「すっごくかっこよかったですー!」と手を振りながら叫んでみた。
するとダンディーな1人のおじ様が、ニカッと白い歯を覗かせて「おじょうちゃん、今日は本当に最高だよ!だから頑張って登って滑っておいでー!」と叫び返してくれた。
おじょうちゃんって歳でもないけれど、そこは有り難く受け取って「ありがとうございます!がんばるー!」と、さっきよりも大きく手を振った。
360度見渡せる青空、やわらかくて走る雪、メンツ、全ては揃っている。俄然やる気が出てきた。
弱気スイッチがパチンと音をたててOFFになったのがわかった。
ラストスパート2ピッチの急斜面を前に、後ろで見守ってくれていた博士が「標高が一気に上がる。だから、ゆーっくりでいいから。スローモーションを意識して。一回動いてワンテンポ置く。次また動いたらワンテンポ置く」とアドバイスをくれた。
顔を上げて骨盤を上向きに、ゆっくり一歩づつ息が乱れないペースで登っていく。
そのうち先生に追いついて「早くなったじゃん。いいね。」とお褒めの言葉を頂戴して、先を譲ってもらう。
先行者のトレースも消えてしまうほどの西風が吹き荒れている。もう私の前には人が見えない。大斜面のトラバース中に、体が持っていかれそうなほどの突風が吹いた。一瞬怯んで弱気スイッチがONになる。
一回深く息を吐き出し、後ろを振り向く。数十m下にいる2人の姿を確認し、前を向いてもう一度呼吸を整える。
人生でもなかなかの西風だったけれど、数年前の吹雪の八甲田に比べたら、まだまだ大丈夫。
自分で自分の弱気スイッチをOFFにした。
さらに強風が吹き荒れる、最終ピッチの岩場の急登前で2人を待つ。
前には博士、後ろには先生。強い2人に挟んでもらい、自分も強い気持ちが持てる。
みんなのおかげでここまで来られている。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
そうしてゆっくりだけど確実に一歩づつ歩を進め、広い頂上に到着。360度の大展望。頂上で湯を沸かしてコーヒーでも飲もうと思っていたけれど、極寒と強風でそれどころでは無い。
一時景色を愉しみ、滑り込む斜面の風をかわせるところまで移動する。この時点で持ってきた残りの水を半分捨てる。
その移動の6ターンでもうすでに昇天しそう。
「すごい!メンツルだ!地形もいい!」と博士に伝えると、ニヤッと笑って「そんなラインだらけのところは滑らせませんよ〜。」と言ってくれた。頼もしい!
先行者が10人は居たので、どこを滑るんだろうと気になっていたけど、ここには誰もいない。
数ターンして沢へ滑り込み、何発か当ててからノールの先へ消える。そんなメンツルのラインが2種類用意されていた。
見たところハーフパイプ状の緩斜面は4発くらい当て込めるが、その後は岩に挟まれガクンと落ちていて、先が見えない。
知っていなければ突っ込めない地形だ。
博士と先生が数秒差で左右の地形に入り込み、気持ちよさそうに両壁を当てこんでノールの先へ消えていった。
2人の美しいラインを見て、しばし余韻に浸る。
どちらに行こうか悩んだ末、狭くてテクニカルそうな奥のラインに滑り込んだ。
走る。気持ちいい。ノンストレス。
ノールの先は「ここに当てこんでね」と、わかりやすく4段くらいの地形が出来ているシュートだった。
地形に誘われるがままシュートを抜けると、広く急な大斜面に出た。
下部に師匠たちの姿を確認したので「最高ー!」と叫ぶ。2人とも両手を上げている。
あと数ターンで2人が待つリグループポイントというところで、「あっちあっち!行って行ってー!」と、そのまま滑って行けとジェスチャーで伝えてくれる。
この先の地形は知っている。先シーズンの春も滑った沢だ。
もっこりと膨らんだり凹んだりしながら、左右リズミカルに続く丸みを帯びたハーフパイプ状の地形。緩斜面だけどクネクネとしたメンツルの地形を、当て込んだり飛んだりして進む。
この時の8ターンが、この日の私のハイライト。メンツルに拘るわたしに、2人が残しておいてくれた甘くて刺激的な最高のデザートだった。
藪を抜け、安全地帯まで滑り、一休み。
乗鞍岳を眺めながら2人に「連れてきてくれてありがとう!」とお礼を伝えた。
かつて無いほど混み合ったゲレンデを「ツリーランならぬ人ーランだね」とか言いながら、駆け抜け、今日の山行は無事お開きとなった。
ふとした縁でスノーボードと出逢ってから、私はそれと離れがたないものとなった。
26歳の春の立山でスノーボードの楽しみを味わってから、冬といえば雪山とスノーボードを想うような人間になった。
自明のことだが、わたしは山が好きだ。
安曇野の里山で育ち、そこでわたしの体は形作られた。
山を黙って見ている事だけでも、私は随分と喜びに浸ることが出来る。
山と相対する時、私は言い知れない限り無い想いを、山と語り合っているような気がする。
そんな私がスノーボードを知って、冬の北アルプスに足を踏み入れる喜びと、湧き出る感謝、それは言葉には出来ない。
なんの生き甲斐も持てずにいた私に、ある種の救いをもたらしたのはスノーボードだ。
その上、不思議な魅力が詰まった雪山という白銀の宇宙は、平凡な私の人生に光を差してくれた。
雪山の大自然に浸って感じる、何か言い表せない力は、今を生きる女性スノーボーダーたちの生活に、明るさと深さをもたらしてくれるものだと思う。
単なる「遊び」以上のものがスノーボードにはあることを、バックカントリーは教えてくれた。
スノーボードは、わたしと北アルプスの物語りをこれからも紡ぎ続けてくれるだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?