【ヨーカドーの「撤退できぬ病」】
昭和から平成の中頃まで、そうイオンがまだ「ジャスコ」と名乗り、あの「ダイエー」が凋落していった時代、ヨーカドーは小売業の雄として君臨していた。日本一だった。
駅前を中心にあの鳩のマークを掲げ、よそ行きの百貨店ほどではないにしろ、そこに行けばなんでも揃う大型店を日本中に配置していく。多層階にらせん状の駐車場、食品売り場は地下にある。皆さんがよくご存知の店づくりである。
ユニクロも家電量販店もまだ小さく、100円ショップも少なかった。ドラッグストアもなく、薬は地元の薬局で買っていた。今のイオンのフードコートとは比べ物にならないヨーカドーのイートインコーナー『ポッポ』の「マクドナルド」も「31アイス」も大賑わいだった。
👤「えっ?ヨーカドーとセブンイレブンて同じ会社なの?(@_@)」と、考えてみたら当たり前の疑問も、あまり話題にはならなかった。
私の家の家業だった(田舎の)スーパーマーケットも、近くにヨーカドーが出来てから潰れる寸前まで追い込まれた。もうどちらも地元には無いから、懐かしい「思い出」ということにしておこう。
☝️この記事の筆者は、「ヨーカドー衰退の原因は、栄華を極めた店舗にしがみつき、商売にならなくなった店を閉める決断が出来なかったためである」と解説している。
大企業、ナンバーワン企業が易々と撤退することなど「プライド」が許さない!ということか。
私が経営していたスーパーでも、近くに競合店ができたり、逆に自分がライバル店のそばに出店することはあった。出す店が全部当たれば苦労はないが、イメージ的には10店舗出して儲かるのは2、3店舗、半分はトントンかちょっとプラス、残りは赤字ですぐにでも撤退したい、こんな割合でありヨーカドーとてさほど変わらないと思う。
消費者の足が郊外へと向かい、イオンはそこに目をつけた。駅前や繁華街を中心に出店していたヨーカドーに、まだ荒らされていないエリアだ。
広大な売り場面積に巨大な平面駐車場、ヨーカドーが自前でやってきた衣料など、イオンはテナントに任せて「賃貸し業」に舵を切った。さしずめ「劇場経営」だ、演者はその時々の流行りで替えていけばいい。リスクはテナントに取らせるものだ。
思い入れのある店を、今までかけたコストや、時間を掛けて得た信用を捨てて、「赤字になったから閉店・撤退」とはなんとも寂しい限りである。
私でも決断できずに撤退時期を誤ったり、過去の栄光にしがみついて傷口を広げてきた。ゆえに「ヨーカドー衰退の原因は、大企業にありがちな要らぬプライドと、撤退できない意志の弱さである!」なんて軽々に言えない。
イオンが落ち目になった時も、 きっと適当な理由を当てはめるのだろうな…。
👤「いつまでも郊外にバカでかいショッピングモールを作ればいいと勘違いして、中心街回帰のスモールタウンの流れに乗れなかったことが、イオン衰退の原因です」とか?
👤「自社本来の小売業を極めることを放棄し、成長を急ぐばかりに買収・合併を進めた結果、業界関係者の信頼失墜と、コンプライアンスの欠如を招き、企業統治ができなくなったため」とか?
👤「日本国内での展開が飽和状態となり、アジア戦略を急いだ挙句、投資回収ができなくなった」とか?
セブンイレブンは残るけど、イトーヨーカドーはなくなるかも…。そうしたらまた別のが出てくる。諸行無常。
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