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ベトナムへ来て初めて【茶道】を知ることになりました。

「日々是好日」          森下典子著

これはお茶のことを書いた本である。

これはお茶のことを書いた本である。黒木華さんや樹木希林、多部未華子さんが出演した映画としても知られているらしい。僕は見たことがないし、また女優さんの名前にも、うとい。

実は、抹茶を呑ませて頂いたのもこのハノイへ来てからのことで、それまではお茶とは無縁の生活をしてきた。

ではハノイに来てから茶道に親しんだかというとそうでは無くて、茶道とはこういうことだったのかということが、少しだけわかったのである。

でこの本を読んで、さらにお茶の世界に、もう少し触れたような気がする。

ここには副題として「お茶」が教えてくれた15のしあわせと書かれている。

著者がお茶に親しむようになって、季節の移り変わりを肌で感じるようになったことや煮え立つお湯と水の音の違いがわかるようになったことが書かれている。

日本の情緒というべきもの、芭蕉や利休などの過去の文人たちが愛した日本の情緒を感じられるようになったと書かれている。


先生はお茶のお点前の手順のことしか教えてくれない。

一番驚いたことは、茶道は一つ一つの手順を教えるが、その考え方やその意味を教えないということである。今、現在語られている教育とは真っ向から対立するものである。

現代の教育では、まずその目的や主旨を説明するだろうが、茶道ではそれはしない。著者もこう書いておられる、かれこれ10数年前から疑問に思っていたこと。先生はお茶のお点前の手順のことしか教えてくれない。なぜだろう?

しかし、ある時先生が提供してくれたお茶を呑む空間で濃密な時間を共有することになった。今まで習うことだけに一生懸命だった著者が、初めて先生と濃密で熱い時間を共有することになった。


日本の芸事を学ぶのは大変である。

本当に日本の芸事は大変であると思う。柔道や剣道しかり。書道もその一つであろう。

しかし、そこに到達したものは凡人の知らない時間や空間を共有して、濃密な瞬間を経験することになるのだろうと思う。

そして、それはとてつもなく時間の掛る方法で学び取るのである。コツを教えない。簡単には教えない。細部に魂がこもっている。それを感じ取りなさいと教える。

茶道には、いっぱい仕掛けがしてある。掛け軸であったり、茶花であったり、器であったりだ。お菓子もしかりである。

経験を積んでいかないと細部の素晴らしさを見ることは出来ない。しかし経験や感性を積めば積むほど、無限大に世界が広がっていくものだと教える。


人生に起こるできごとは、いつも「突然」だった。

もう一つお父さんを失う場面で感動的な記述がある。著者のお父様が亡くなったのである。

人生に起こるできごとは、いつも「突然」だった。昔も今も。

もしも、前もってわかっていたとしても、人は本当にそうなるまで、何も心の準備なんか出来ないのだ。結局は、初めての感情に触れてうろたえ、悲しむことしかできない。

そしてそうなって初めて、自分が失ったものに気づくのである。いつだって本当にそうなるまで心の準備なんかできず、そしてあとは時間をかけて少しずつその悲しみに慣れていくしかないのだ。

だからこそ、私は強く、強く思う。

会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら分かち合おう。

幸せな時は、その幸せを抱きしめて、100%かみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

著者の強く感動的な記述に胸が高鳴った。

人生の中では、いつも突然こうしたことがやってくる。勿論うろたえるではあろうが、勇気を振り絞って、あらんかぎりの力で立ち向かっていこうと改めて思う。

本当に、この言葉は強く心に響くのである。



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