民俗学小話集⑦
【亡者道】
昔、『まんが日本昔ばなし』で取り上げられていたのだが、飛騨の山中には亡者道という、死者が通る道があるらしい。この道は霊山・御嶽山へ続いているという。
その昔、平十郎という百姓がいた。彼は狩りの巧者で、秋の刈り入れの後で鳥を捕るのを楽しみにしていた。
ある日、平十郎は知ってか知らずか、亡者道に鳥を捕る霞網を張った。途中、誤ってツグミに目をやられた平十郎は山小屋で養生していたが、ふと、以前聞いた「亡者道で猟をすると亡者の叫び声を聞く」という話を思い出した。一笑に付そうとした平十郎だが、突如ツグミが小屋中を暴れ回り、焦った平十郎が亡者道へ行くと、自分が仕掛けた霞網に亡者の霊魂が引っかかっている。それは火の玉で、平十郎が見ているとドクロに変わり、「平十郎とろう」と口々に叫びながら襲いかかってきた。
驚いた平十郎は必死で山を下りたが、途中で足を滑らせ、清霊田(せいれいでん)に落ちてしまった。すると田の中からドクロが現れ、「平十郎は三日前に仏の飯をいただいておる。とることはできん」と悔しそうに言った。
以後、やや気が触れたようになった平十郎は、猟をぷっつりとやめたという。
この伝説の舞台は乗鞍岳の西麓にある千町ヶ原という高原で、そこには清霊田(せいれいでん)と呼ばれる小池ほどのいくつもの沼があるという。自然にできた小さな沼らしいが、名称の由来が気になるところである。
よく似た事例として、立山に「餓鬼田」と呼ばれるものがある。餓鬼が耕作している田圃だと言い伝えられているが、これは「池塘(ちとう)」といって、高山の湿原に現れる沼のことである。聞いたところによると、立山ではイグサの一種(ミヤマホタルイ)が生えていて、本当に田圃のように見えるらしい。 先の「清霊田」も千町ヶ原という山中の高原にあり、池塘と思われる。
【魂呼ばい】
昔、人が気絶した時は魂が一時的に飛び出しているものと考え、「魂呼ばい」という、魂を呼び戻す所作をやったらしい。くしゃみをしたとき、「畜生」などと暴言を吐くのも、魂が飛び出すのを防ぐ目的があるという。
魂呼ばいは人の臨終が近いときによく行われたが、まだ若い人の場合や、頓死の場合などによく行われたという。親類の一人が家の屋根に上り、死にそうな人(あるいは死んだ人)の名前を呼ぶのが一般的だが、井戸の中へ向かって呼びかける地域もあるという。
また、会津地方ではマスウチと言って、屋根に上って一升枡を棒で叩いたらしい。個人が使っていた茶碗を叩く事例もあるようだ。