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親魏倭王の小話集(小説編)

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本、主に小説についての小話集。Twitterに投稿した中でツリーを形成する長文ツイートを転載。
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2024年10月の記事一覧

親魏倭王、本を語る その06

【ケストナーの大人向けユーモア小説】 ドイツのエーリヒ・ケストナーは『飛ぶ教室』『ふたりのロッテ』などの児童文学で知られるが、大人向けの小説もいくつか書いている。その中で有名なのが、ユーモア三部作と呼ばれる『雪の中の三人男』『消え失せた密画』『一杯の珈琲から』で、創元推理文庫に収録され、前者2冊は入手可能である。 このうち『消え失せた密画』だけ読んだことがあるが、これは古い細密画を巡る保険会社社員と盗賊団の攻防を描いた犯罪小説で、全編をユーモアで彩ったことで独特の味わいを醸し

親魏倭王、本を語る その05

【将棋差し人形とエドガー・アラン・ポー】 エドガー・アラン・ポーの作品の一つに「メルツェルの将棋差し」というものがある。取り上げられているのは18世紀に作られたチェスをする自動人形で、19世紀半ばに焼失した。人形は「トルコ人」と呼ばれ、ハンガリーの発明家ケンペレンによって制作され、死後、ドイツの発明家・技術者メルツェルが譲り受けた。 この人形のからくりを推理したのが「メルツェルの将棋差し」で、創元推理文庫の『ポオ小説全集』に収録されているが、短編小説ではなく評論あるいはエッセ

親魏倭王、本を語る その04

【鮎川哲也の後継者】 鮎川哲也は日本においてクロフツ流のアリバイ崩しを完成させた立役者だが、その後継者と言えるのが津村秀介。津村は一貫して時刻表トリックにこだわった人で、『影の複合』など初期のノンシリーズものはけっこう読みごたえがあるのだが、ルポライター・浦上伸介を主人公とするシリーズものを書き始めるとだんだん展開がパターン化してきた。 鮎川哲也風のアリバイ崩しと言えば、鮎川哲也賞を受賞した石川真介も外せない。鮎川哲也賞受賞作『不連続線』は原稿の枚数規定のため結末部分が不完全

親魏倭王、本を語る その03

【黒死館殺人事件】 ミステリー=推理小説に三大奇書と呼ばれる作品群がある。小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、夢野久作『ドグラ・マグラ』、中井英夫『虚無への供物』である。 このうち、小栗の『黒死館殺人事件』だけ読んだことがあるが、たいがい奇抜なミステリーを読んできた自分でも太刀打ちできなかった。その理由はふたつある。ひとつはストーリーがよくわからないこと。確かに殺人があって最後に犯人が明らかになるが、謎解きのプロセスが明らかでない。もうひとつはストーリーとペダントリーの主客逆転で、

親魏倭王、本を語る その02

【伝奇小説小史】 日本における伝奇小説の祖型は、おそらく曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』と思われる。近代に入ると、岡本綺堂の『小坂部姫』『玉藻前』を筆頭に、国枝史郎や角田喜久雄が伝奇時代小説を次々と発表する。戦前の代表作として吉川英治の『鳴門秘帖』が挙げられる。 戦後、GHQの統制下で一時的に時代小説が書けなくなるが、その統制が終わると柴田錬三郎らが意欲的に伝奇時代小説を執筆する。都築道夫『魔界風雲録』、司馬遼太郎『梟の城』、藤沢周平『闇の傀儡師』などが昭和の代表作として挙げら

親魏倭王、本を語る その01

【『天保図録』と護持院ヶ原の仇討】 松本清張に『天保図録』という天保の改革の顛末を描いた歴史小説の大作がある。昔、角川文庫から刊行されていて、上中下の3巻構成、いずれも500ページを超える大長編だった。現在は春陽文庫から再刊されている。 この中に「護持院ヶ原の仇討」という事件の顛末が載っていて、奉行所の検視報告が引用されている。これは幕臣で剣術師範の井上伝兵衛とその弟で松山藩士だった熊倉伝之丞を本条辰輔が殺害した(金銭トラブルとも言われる)ことに対する報復で、伝之丞の子・伝十