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親魏倭王、本を語る その01
【『天保図録』と護持院ヶ原の仇討】
松本清張に『天保図録』という天保の改革の顛末を描いた歴史小説の大作がある。昔、角川文庫から刊行されていて、上中下の3巻構成、いずれも500ページを超える大長編だった。現在は春陽文庫から再刊されている。 この中に「護持院ヶ原の仇討」という事件の顛末が載っていて、奉行所の検視報告が引用されている。これは幕臣で剣術師範の井上伝兵衛とその弟で松山藩士だった熊倉伝之丞を本条辰輔が殺害した(金銭トラブルとも言われる)ことに対する報復で、伝之丞の子・伝十郎と伝兵衛の弟子・小松典膳が辰輔に決闘を挑み討ち果たしたものである。
ところが、松本が引用した検視報告を読むと、仇討ちとは思えぬほど滅多切りにされている。そこから相当恨みが強かったことがわかるが、どう見ても(検視報告を見る限りでは)怨恨による殺人としか思えないこの事件が仇討ちとして処理されたのは、天保の改革を指揮した水野忠邦の配下であくどい取り締まりを行った南町奉行・鳥居耀蔵とその一派への恨みがあったものと思われる(本条辰輔も鳥居耀蔵の手先として働いていた)。 ただし、これは『天保図録』作中に引用されている検視報告からの推測で、その他の信頼に足る資料に依った考察ではないため、話半分に聞いておいてほしい。
ちなみに護持院ヶ原の仇討は2度あり、今回紹介したのはその2度目のほうである。一度目はりよという女性が父の仇であるならず者の亀蔵を討ち取ったもので、当事者が女性であったことから江戸中の注目を浴びた。森鴎外の『護持院原の仇討』はこちらを題材とした小説である。
【井上靖の文体について】
『天平の甍』は奈良時代の鑑真渡来を題材にした歴史小説で、『風林火山』『額田女王』とともに井上靖の代表作として知られる。これを読んだのは高校生の時だったが、小説としてはあまり読みやすい作品ではなかった。その理由は、人名をはじめとする固有名詞の多さと、淡々とした記録のような文体にある。吉村昭の『戦艦武蔵』を彷彿させる、記録文学のような文体である。つまるところ、小説というよりは史伝っぽいのである。『額田女王』『風林火山』はもう少し小説らしい文体であったのだが、この違いは何なのだろうか。
井上には『真田軍記』という連作短編があって、これも史伝調で書かれていて、小説としては文体が堅い。そのことから、井上はテーマによって史伝調と小説調を使い分けていたようにも取れる。ちなみに『真田軍記』に併録されている短編「森蘭丸」は割とのびのびした筆致で書かれており、井上の短編のベストに推したい。
余談だが、『天平の甍』執筆にあたって、井上に鑑真の事績をレクチャーしたのは、早稲田大学で教鞭をとっていた美術史家の安藤更生博士で、その縁からか、後に安藤が組織した「日本ミイラ研究グループ」に井上も参加し、即身仏の調査に同行している。