【読書日記】国境のない生き方/ヤマザキマリ
久しぶりに「これは面白い!」と思った本に出会ったので、ぜひ紹介させていただきたい。ヤマザキマリさんの『国境のない生き方』というエッセイだ。
このヤマザキマリさんはあの『テルマエロマエ』の原作者である(1、2、3、合わせて10回は見た)。幼少期から多大な量の本を読み、世界中を旅し、さまざまな人種の人と交流してきた、いわば<本、人、旅>の体現者の様な人物だ。その艱難辛苦の経験とともに、私たちに生きる喜びを教えてくれる、そんな本だ。
この本を私に紹介してくれたのは、3年時から所属予定のゼミで担当を務める阿部先生だ。台湾渡航前に日本から数冊本を持って行きたいと思い、おすすめをお聞きしたのだが、僕の想像を超える量のご紹介をいただき(本当にありがたい…)、その中の一冊がこのヤマザキマリさんの『国境のない生き方』であった。
僕は西加奈子さん(サラバ!、きいろいゾウ、i、など)、星野道夫さん(旅をする木、悠久の時を旅する、など)が大好きで、漠然と海外生活を絡めた様な小説、エッセイに傾倒していた時期があった。そんな僕が今、海外にいてこの本を読み、「食らった….!」とおもわないわけはない。必然である。
詳しい内容は書ききれないし、僕の矮小な語彙で表現するのも野暮なので、まずは手にとって欲しい。または僕が直接貸す。
だが、黙って読め!では、わざわざnoteに書いている意味もないので、特に私が「食らった」フレーズを紹介する。
「日本人だから」とか、「海外では」という枕詞は大嫌いな僕だが、日本人が潜在的に持っている、表現することへの抵抗感を持ち合わせている僕には、刺さりすぎるほど刺さったのである。
台湾に来てからは、多少なんとか形にして伝えようとするアウトプットを心がけてきたが、<伝える>だけではアウトプットにはならない。ともに議論し、相手の意見に耳を傾ける。勝ち負けの存在するディベートではなく、あくまで<教養に経験を積ませる>ために議論を交わす。
そのために、今の僕には語学の勉強が必要不可欠であり、もっとフレキシブルに、活発に、身ひとつで動かなければいけない。その僕が今目指すべき方向性があっていることをより強烈に証明してくれた、そんな本であった。
今自分が書いているnoteも、アウトプットの一環ではあるが、それはまだ完全なものではない。何か思うところが少しでもあればメッセージして欲しいし、僕の知らない教養について教えて欲しい。
僕は何者でもないし、反対に、あなたも何者でもない。
ただそこには<i>と<i>が存在しているだけで、2乗されることもない。マイナスにもならない。
きっとみんなも、誰かの<i>で生きているし、縋る。誰かの<i>に触れ、確固たる自分の<i>を手にして死すまで、アウトプットし続ける。そんな人生を歩んでいきたい。
(いつも最後にポエティックすぎる文章を書いてしまうのが本当に恥ずかしい…朝起きた時死にたくなる…)