丁寧とは礼儀正しくを入念に
国葬ではなく国葬儀と言うことに違和感があった。 それは国葬の規定がないので国の儀式であると強調したかったようでとてもズルい。 一部学者の学説から国葬を内閣が行えることと国葬にするかどうかは時の政権が判断すると国会の閉会中審査に述べたが、これは従来の説明を繰り返したに過ぎない。アリバイ作りしたかったのだろうが、これでは国民の信頼を失っただけだ。
慣例を破って首相自ら閉会中審査で丁寧に説明したということなのだろう。しかし内閣府設置法を素直に読めば、国の儀式を内閣が執り行うと書かれているだけで何を国の儀式にするか決定するとは書かれていない。平たく言えばダムを造るのは建設会社だが、どこに造るかを建設会社が決めないのだ。国の意志として国会にて法律を整備するのが、国民主権として必須である。
慣例化している内閣・自民党合同葬にも公費を投入しているのだが、自民党は国葬にならないのが、法制化されているアメリカ大統領と比較して不満なのだろう。決断が遅い首相がどさくさ紛れに自分も国葬になることを願って即断したように思えてならない。自らの判断が間違いだと認めたくなくし、慣例の内閣・自民党合同葬に突っ込まれないよう法整備もしないのだろう。
「亡国の民主主義」に国葬に反対と書いた。反対しても中止にはならないから無駄だとは思わない。今後の元自民党首相の葬儀が全て国葬になることはないだろう。元吉田茂首相の国葬の後に国葬は慣例化されていない。反対しなければ自民党独裁政権が続く限り自民党は国葬を私物化していただろう。やはり「民主主義は分断がお好き」に書いた通り政権交代を容易にしたい。