話は盛ってよいが、それは相手のため!
話しを盛るという言葉があります。芸人や芸能人なんかも著しく盛っていると言われていますし、実際テレビを観ていてそう感じる時もあります。
あまり、良い意味で使われない言葉ですが、私はこの言葉自体が結構素敵だと思っております。
1.話は盛っても良い
話しを盛るというのは、真実と異なる事も相手に伝えるので、厳密にいうと虚偽になる為、あまり良い印象を持たれないかもしれません。
逆を言えば、話しを盛るという言葉がなければ、嘘つき、虚言、虚偽という事になるのです。
しかし、私は度合いにもよりますが、話しは盛って良いと思っております。
2.基本は相手を喜ばすためのサービス
しかし、話しを盛るというのは相手を喜ばせようとする為に少々、真実と異なる内容を伝える事となります。
逆に言えば嘘つき呼ばわれされるリスクも取りながらのサービス精神です。しかも話しを盛るというのは黒を白というより、黒の先にあるグレーを黒にしてしまう感じです。話しの方向性としては真実と同じベクトルを向いている訳です。
そういう意味では話しを盛るのは一種の相手が望んでいようが、いまいが良き過剰なサービスといったところではないでしょうか。
過剰というところが良く思われないミソなのかもしれません。
3.話を盛って父に怒られた思い出
実際、私も話しを盛ったばかりに苦い思い出があります。幼少期、父に嘘を付いたと酷く怒られたのです。
内容としては、私と父と祖父とで、お出かけをしたのです。祖父が急にいなくなったのです。探してすぐに見つかったのはトイレの出口でした。間違ったのか、今でいう認知症かで女子トイレから出てきました。
小学校低学年という事もあったのか、私としてはその光景が非常に面白く、家に帰ってから母親や兄弟に早速伝えました。
その時私が伝えた内容は【祖父がいなくなって探したら、女子トイレから出てきて見つかった!通りすがりの人が笑っていた!】です。
通りすがりの人が笑っていた というのが、話を盛った部分です。
母親や兄弟は父にその事を私が喜んでいたと伝えたようです。その後、私は嘘をついたという事で酷く叱責されたのを覚えております。
今の私ならば、私は話しを盛っただけで、なぜそこまで怒られなければいけないのかを反論するかもしれません(笑)
確かに私の場合は祖父を子馬鹿にしたような事もありきっかけとして嘘を付いたと言う事で父に怒られたのかもしれません。
ただ子馬鹿と思われる発言をした事に対しての説教と話しを盛った事を混同してしまうのはいかがなものでしょう。ただただ嘘をついたと言う事で怒られたので、今一納得が行かなかったのを覚えております。
4.相手の為に話を盛る
話しを盛る事で自分の事を背伸びして大きく魅せる事は良くないと思います。それは自分の為に話しを盛っているからです。相手を喜ばす為ではありません。
しかしながら、相手を喜ばせようと話しを盛る事はそれほど有害な事はあるでしょうか。場合により、営業では話を盛る事もスキルの一つとも考えられます。盛り過ぎは過大広告のように、駄目ですが。
TPOをわきまえて話しを盛って会話に華をもたせようではありませんか。