直観 プラトニック・イントゥイション
西洋思想の伝統を特徴づけるのは「それがすべてプラトンへの一連の脚注からなっている」ことだとホワイトヘッドが言っているように、およそヒトが考えつく限りの諸々の思考やアイデアは、古代ギリシャにおいてプラトンの頭の中にすでに存在していたようです。
そもそも英語の「ideaアイデア」という言葉の語源となったギリシャ語の「イデア」は、プラトンがその根幹概念として掲げていた「永遠で普遍的な観念」を表す言葉です。
ピタゴラス学派が幾何学的な図形の背後に存在している「数学的な真理」のことを指して呼んでいた「イデア」を、ソクラテスが美や善といった「普遍的な知」という意味に置き換え、その弟子のプラトンは師匠の概念をさらに格上げして、「すべての存在の根源にある真なる実在」であるとしたのです。
プラトンによれば私たちが存在している世界のありとあらゆるコトやモノは、真の実在であるイデアの世界を映しているものであると言います。
世界は大きく「現象界=感覚的世界」と「イデア界=知性的世界」の2つに分けられ、さらに現象界は「事物の影」と「実際の事物」に、イデア界は「数学的論理」と「イデアそのもの」に、それぞれ分けられます。
そして人間の認識のあり方もその4つの世界に対応するため、
① エイカシア(eikasia映像知覚):実際の事物ではなくその映像や幻を見ている心的様態
② ピスティス(pistis知覚的確信):現象界の事物を感覚によって直接知覚している心的様態
③ ディアノイア(deanoia間接的認識):数学や自然学など論理的推論を通した心的様態
④ ノエーシス(noesis直知的認識):真の実在であるイデアそのものを直接把握する心的様態
の4段階の階層を成しています。
これらの認識のあり方のうち、イデアそのものを直接洞察するノエーシスが、人間の知性における最高段階の認識であり、その段階へ至ることこそが哲学的探究の究極的目的であるとプラトンは考えます。
「対話篇」のように哲学的対話を繰り返し、自分自身の魂を磨いていくことで、こころの眼によってイデアを直接的に掴み取ることができるようになること、それがプラトニック・イントゥイション(プラトン的直観)です。
アテナイの英雄アカデーモスに捧げられたオリーブ園(アカデメイア)の中に、西洋文明初となる高等教育のための学園を創設したプラトンは、問答を通して多くの生徒を育てあげ、そのうちの一人にはアリストテレスがいます。
アリストテレスはプラトンの死後アカデメイアを離れ、リュケイオンの地に新たな学園を開設しますが、プラトン的直観による認識のあり方の重要性を受け継ぎ、それを「観る」という意味を持つ「テオリア(theoria観想・観照)」という言葉に言い換えました。
人間には快楽を求める「享楽的な生活」、名誉を求める「政治的な生活」と並んで、知恵を求める理性的活動としての「テオリア的生活」があり、人間にとっての最高の幸福はこのテオリア的生活にある、とアリストテレスは説いています。
テオリアというギリシャ語は、時代を下ってセオリー(theory理論)という英語の語源となり、またシアター(theatre劇場)という「観る」ための舞台とも関連しています。
アカデメイアの学園はB.C.387年の創設から、529年に東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスによって閉鎖させられるまでの約900年間、地中海世界における学問の中心地となっていました。
この地で学んだ人々やその影響を受けた人々は「アカデメイア派」と呼ばれ、様々な学説を産み出しましたが、それらの考えは広い意味で創始者の名前を冠されて「プラトニズム=プラトン主義」とも呼ばれます。
プラトニズムは3世紀古代ローマの哲学者プロティノスによって新たな生命を吹き込まれ、この考えは「ネオプラトニズム=新プラトン主義」と呼ばれるようになりました。
プロティノスはプラトンの言う知性的世界も感覚的世界も、全ての存在は唯一の根本原理である「一者=ト・ヘン」から「流出」して生み出されたものだと考えました。
一者から流出した知性(ヌース)が魂を生み出すことで、ヒトや他の生物のこころが成立し、現象的世界は知性や魂の依代として形作られているのだと言います。
そして流出してきた流れを遡って「帰還」することで、一者と合一することが可能となり、そのためには「直観的把握」によって全体を一挙に認識することが求められるのです。
プロティノスの一者の概念は一神教との相性が良く、その結果としてネオプラトニズムの思想は、中世ヨーロッパのキリスト教社会において、基礎的思弁として受け入れられていきました。
ユスティニアヌスの非キリスト教学校廃止政策によるアカデメイアの閉鎖から、さらに900年の時を飛び越えたルネサンス期のフィレンツェには、メディチ家によって「プラトン・アカデミー」というサロンが設けられました。
ルネサンスの広がりとともにヨーロッパ各地の国々で、「アカデミー」や「アカデミカ」等と名付けられた高度な研究・教育施設が次々と創られるようになり、それらのうちの多くは現代に至るまで、思想や科学の発展を生み出す揺籃機関となっています。
この幾多のアカデミー擁立の流れの後に、古代ギリシャのプラトン的直観は、デカルトの「自己直観」やスピノザの「知的直観」などにつながる認識のあり方として、近代哲学の枠組みで蘇りを果たすことになります。
蛇足となりますが、多くの人々から「観られる」ものとして最高の栄誉を与えられる「アカデミー賞」の授賞式は、アリストテレスのテオリア(観想)と関連する「シアター=観るための場所」で開催されています。
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