スローイングとピッチング
ヒトは無類の長距離走者として、生来持っている持久力により動物界のなかで確固たる地位を築きあげましたが、さらにもう一つ、他の動物たちを凌駕する、卓越した運動能力をその進化の過程で培ってきました。
物を投げる力=スローイング(投擲)能力です。
疲れ知らずのタフな追跡者として狙った獲物を追い続け、相手がもうこれ以上動けない状況となった時、不用意に近くへ寄ってしまうと、土壇場で思いもよらない反撃をくらうことがあります。
戦闘能力に関していえば、体重が半分に満たないケモノにすら、平気でころっと負けてしまう脆弱さを誇るヒトたちです。
強い爪も牙もない上に、肥大化させた脳の消費エネルギーと引き換えに、からだの筋肉量を節約したため、腕力を激減させてしまっています。
しかもヒトに成り立ての頃のヒト亜族たちは、未だ弓や槍はおろか、石斧さえも手にしていませんでした。
これではせっかく1日かけて追い詰めた獲物をみすみす逃してしまうどころか、場合によっては命すら失いかねません。
然るにヒトは、直立二足歩行を完成させるのと同時並行で、前脚をモビリティのくびきから解き放ち、自由に使える「腕」を獲得しました。
鎖骨を胸郭から左右に長く伸ばすことで、上肢を体幹から遠ざけて「肩」を作り、その関節を360度回転させられるようにしたのです。
またそれまで縦長だった骨盤を、短く横広にすることで「腰」のくびれを作り、胴をひねることができるようにしました。
その結果として、「腰」のひねりで大きなトルクを作り、横に張り出した「肩」から、自由自在に「腕」を振り出すことで、強い回転力を生み出して、モノを遠くまで投げることができるようになりました。
そして樹上で暮らす霊長類時代に培った、「手」の母指対向性をより発展させ、モノを精密把握できるようにすることで、スローイングの際のコントロールを高めていき、狙いを定めて投げる能力を獲得しました。
こうしてヒトは、地球動物史上最強のピッチング力を手にすることになったのです。
アフリカ熱帯雨林に暮らすチンパンジーの雄は、車のフロントガラスを素手で割るほどの腕力と、リンゴを軽く握り潰せる200~300kgの握力を誇りますが、こと投擲力に関しては5、6メートル飛ばすのがやっとのことで、初速スピードはせいぜい30km/h程度です。
腕力や握力ではとてもチンパンジーに敵わないヒトですが、時速105マイル(169km/h)の球速を記録したアロルディス・チャップマン投手を筆頭として、150~160km/hで球を投げられるピッチャーは、メジャーリーガーにはゴロゴロいます。
女子ソフトボールでも、一流選手は100km/h前後の初速を出しますし、重たいボウリングのボールでさえ、プロボウラーは55km/h程度のスピードで投げ出しています。
獲物を追い詰めたヒト亜族たちは、この発達した投擲能力を使って、近くに落ちている石などを投げつけたに違いありません。
もしそれを見つけた猛獣類などが近寄って来たとしても、石をぶつけることで撃退できます。
投擲の成果に味をしめた狩人たちは、いつしか手ごろな石をその手に握り締め、獲物探しに出かけるようになったのではないでしょうか。
狩人が手にする石の武器は、やがてただの自然石から先端を尖らせた石斧となり、石斧に棒をつけた槍や、弓矢へと進化発展していきます。
アフリカ大陸から外に出て、世界各地の大陸に散らばる頃には、ヒトは最強のハンターとして地上に君臨し、10トンを超えるマンモスさえも狩りの対象としていきました。
やり投げや円盤投げ、砲丸投げにハンマー投げなど、陸上競技にはどれだけ遠くまで物を投げられるかを競う、投擲種目がいくつもあります。
ボールを持って投げる競技としては、ハンドボールや水球、ボウリングなどがあり、ボール以外でもダーツや輪投げ、フリスビー、パイ投げ、枕投げに雪合戦など、ヒトは手にしたモノを何でも投げてみる動物です。
最近ではあまり空き地や公園でキャッチボールをする姿も見かけなくなってしまいましたが、天から与えられ進化の中で培ってきた、動物界随一のユニークな能力、投擲力をもっと楽しんでみてはいかがでしょう?