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伝統と流行。装うことの余裕と通常。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(10)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第10回のメモ。今回もタイトルとしては「余裕と通常」。装うということに関しては、貧富の差だけで語れるわけではなさそうだ。

摘 読。

服飾史というのは、単にエピソード的なものではなく、素材やつくり方、原価、文化による固定・流行・社会階層など、ありとあらゆる問題がそこから出てくる。洋の東西を問わず、上流階級が奢侈禁止令をしばしば出したのも、浪費抑制ということもあるが、非上流階級や資産を持つようになった階級への社会的対立がある。にもかかわらず、こういった有産市民階級の「上位の社会階層のしるしをなした衣服を着たい」という欲望を抑えることはできなかった。

ただ、社会の階層構造が安定している状態では、17世紀後半の西ヨーロッパに見られたような変化、つまり上位の社会階層の衣服が有産市民階級にも着られるような変化は見られにくい。ブローデルのみるところ、中国や日本、インド、トルコなどにおいては、階級ごとの服装の差にあまり変わりはなかった。

日本の場合、衣服のかたちそのものに大きな変化があったわけではない。むしろ、儀礼化と簡略化が相互に浸透しあっているようなところもあるように見受けられる。このあたりは、興味深いテーマではある。

富もなければ、移動の自由もない庶民の場合、祭日に着る晴れやかな衣服も、日々の仕事着として着る粗末な衣服も、変化というものはなかった。

その一方で、16世紀のフランドル地方での人々を描いた画には、つねに同じような服を着ている庶民と、数十年のあいだに着ているものに変化が生じている有産市民とが、明らかに区別できるようになっている。庶民が着るものは粗末なままで、そもそも14世紀になるまでは寝るときに裸であったし、肌着というものが浸透したのもそれ以降のことであった。着ている服の布にしても、樹皮を利用したものや亜麻布、麻布や麻と毛の混紡であった。

流行とは単に豊富・量・過剰を意味するだけではなく、季節に応じ、日に応じ、時に応じて変化する。ヨーロッパにおいても、12世紀初頭まではほとんどそれまで変化がなく、十字軍によって絹や毛皮がもたらされたものの、服装の形態を根底から変えたわけではない。14世紀以降、衣服に流行という現象がみられるようになる。特に、新たに着られるようになった短い服装は、それぞれの地域での特色が色濃く現れるようになった。16世紀の上流階級の場合、スペイン風から着想を得た黒ラシャの服装が流行したが、スペインの衰退に伴って、それも流行の座を降りることになる。このように、ヨーロッパ内部での優位性によって衣服の流行も変化するようになった。ただ、もちろんそこには時間や空間のずれ、異常値、緩慢な変化などが生じていた。

そもそも、貧しい人々にとってはこういった流行はかかわりあいのあるものではなく、また局地的な抵抗や地域的な割拠なども存在していた。たとえば、ヴァロワ・ド・ブルゴーニュ家の宮廷はドイツに近かったために、フランスの宮廷の流行にしたがうことができなかった。こういった地域差は、それぞれに対する相互の嘲笑をも惹き起こした。

さて、流行というのは清算しつつ、更新されていく。その意味において、社会や経済、文明の躍動や可能性、要求、生きる喜びを今に伝えているとはいえる。しかし、すべての地域においてそうだったわけではない。日本においてもペルシアなどにおいても、流行といえるような変化はなかった。こういったことを可能にするには、衣服や靴のかたち、帽子・髪型にまで心を労するような、ある種の落ち着きのなさ——それがゆとりでもあるわけだが――が必要であった。

そして、もう一つ。流行の相当部分は、特権的な人たちが後に続く集団から何としても自分を区別し、障壁を設けようとする欲求から生じた。ここでは追随者・模倣者の圧力が、絶えず競争を活気づかせていたことに注目すべきだろう。そして、商業界はこれを意識的に利用した。「仕立て屋は縫うことより考案することによけいに苦労する」。これは、まさにイノベーションの核心を衝いている。

後の巻で触れられるようだから、ここでは省略するが、こういった流行には当然ながら織物や生地の歴史・生産および交換の地理学や、織物職人の作業能率、そして原料不足の問題などが浮かび上がってくる。

こういった「装う」ことをめぐるモードと長期的な揺れは、衣服にとどまらず、身体の清潔さなどにもつながっていく。といっても、ヨーロッパではそういった点ではきわめて遅れていた。公共浴場も16世紀以降、急速に衰えた。そもそも入浴するということさえ稀であった。他にも化粧や毛髪、髯についても記述はあるが、省略にしたがおう。

ここまで述べてきたような物質生活は、きわめて複雑な絡み合いを示している。それゆえ、簡単に特徴や関係性を指摘して事終わるような話ではない。ここで大事になるのは《事物とことば》である。しかも、それは日々の一椀の米飯なり、一切れのパンなりを前にするときの言語なのである。それらの言語には、人間が無意識のうちのその囚われ人になりながら、そのなかに持ち込み、またそこにそっとひそませているすべてが随伴している。そういったなかに打ち立てられている野放図に錯雑した秩序こそが、文明なのである。

私 見。

衣服というものの伝統性と流行性は、ひじょうにおもしろい。しかも、現代は知らず、歴史的にみれば、地域的な特質も深くかかわっている。本来は「食べる」ことのほうが、生きることに直結していそうなものだが、「装う」ことについては、少しでも余裕があろうものなら、人はより上位階級がつけているものをめざそうとする。ここに、人間が社会的動物であることの一端を確かめうるようにも思う。

さて、この章でようやく和訳6巻本の第1分冊が終わる。ブローデルの文明の描き方は、ひじょうに非直線的である。それゆえに、わかりやすさに勝るとは言いがたい。しかし、である。このややこしさ、錯雑さこそ、わたしたちが生きている時空間にほかならない。そこをていねいに解きほぐしていこうとするブローデルのアプローチは、生態系 / エコシステムという概念が急激に“流行”しつつある今だからこそ、顧みられるべきだといえよう。

そして、もう一つ。
ブローデルが引用や参照している経済学者や経済思想家 ――ロッシャーやゾンバルト、カンティヨンやセイなど――には、企業者の役割に注目している人たちが少なくない。ドイツの2名は歴史学派でもあるので、そのあたりは容易に理解がつく。こういった機会の発見者としての企業者を、経済、さらには文明の転質の一つのアクターとして ――ただし、企業者だけをピックアップしているのではないことも、絶対に見落としてはならない重要な点である―― 捉えているところに、ブローデルのアプローチを現代のソーシャルイノベーションを読み解いていくためのカギの一つたらしめているといえるように思う。

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